ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4560・横尾 忠則の老人論 ー3
としての自分を見つめ続けている。 さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、その環境の一人として、まず服装から
当事者になってしまう。 そして観客も、その場の一人として引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
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4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
「呪いの時代」内田樹著
* 脊髄反射的その場のつくろい ー 第3章 「後手」に回る日本 ーより
島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要である。しかし、情報化社会では、
それは許されるものではない。現在の日本の政治は、毎年、首相を交換させることで、その場のつくろいをしているに過ぎない。
それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて強いることをしない。そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。
ー以下の部分は、その理由を端的についている。
≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、アメリカは基本的に「先手」の人であり、
「日本は後手」の人ということ。欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像というビジョンがあり、
それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものはありません。終戦時に、それがなかった。とりあえず、
「アメリカ人が日本がかくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法の理念と背馳する命令が
出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という経験則が存在したということです。それが日本の国是です。
アメリカに従属する。 ・・・ 相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく、全神経を集中すること。どれを武道では
「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて身動きならない状態ですが、構造的に「負ける」ことです。
日本の政治が三流であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、構造的に負けているのです。
国家像が描けない、統治原理が語れない、外交戦略が起案できないというのは個別的な知性の問題でなく、日本人全員が
罹患している国民的な病です。・・・ ≫
▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に渡って、間接的米国隷属国家として、当然、
と言えば当然で、これしか出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。独立宣言書である。
何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題があるのは、それから軌道がそれたと理屈づけ軌道修正をしてきた。
明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の特質もあり、後手という
守りしか手が打てなかった。現在の領土問題も、これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。 つづく
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3820, 哲学人 ー�
2011年09月10日(土)
* 現実と経験と言語は一緒ではない ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
ー まずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分から ー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解についてジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。むしろ、私が言おうとしているのはこういうことです。
何を現実とみなすか ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、一脚のテープルとしてみなすか、どういうものを
同じグラスとか違う本とか二脚のテープルとみなすかー は、私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。
そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なものです。それだけではありません。世界を経験するとき、私たちは経験そのものを
形成する際に役立つ、言語的なカテゴリーを通じて世界を経験しているのです。 世界はもとから物体と経験に分かれて存在している
わけではありません。何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、
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09月10日(火)
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