ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4431, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −3
特に新潟駅前の時は、500%の成功するだろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価を
含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。で、自然考えたのが、上記のこと。
「せっかく与えられたチャンス。もし失敗しても、全てを失っても後悔はしない」と! だから現在、さばさばしている。
万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!
・・・・・・
4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとに
アップしていた。12周年を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、ここまで続けることが出来た。
内容はともかく、「自分に納得できる文章にすること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、手を抜いた
文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。
読んでいると、変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。 ここまで書きためると自分自身の墓場そのもの。
飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。言葉の力は大きい。
大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、
脳から文として出し、吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し11年分の自分に出会っているが、
そこに自分の小さな歴史をみている。 もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思うことさえある。
実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かったこともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら
面白い断片が数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。このシリーズは心底では自分に120点。
だから逆に書き残さなかったのが良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・・また人を傷をつけるのか?
毎日、書き出す習慣も慣れてくるとゲーム感覚になる。 ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。
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3691, 自己を見つめる −13
2011年05月04日(水)
* 運命について ーp226 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 ハイデッガーの言い方に従えば、私たちは存在の真理の「呼び求める促し」の中に立たされていることになる。
私たち人間は、そうした運命的なものの呼びかけに聴従せざるをえない、あり方を、根底に宿し、
それに聴従することによって初めて、真に生きることを果たしうるものというように捉えていった。
・・・自己と歴史の由来を、その根源から聴き取って、それをその将来と結びつけることによって初めて、人間は、
自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当てることができるようになると説かれたわけである。ここに、現代における
優れた運命思想の一つがあると言っても過言ではない。 ハイデッガーによれば、私たちは、この世の中に生きるときに、
予期しえない形で「降りかかってくる」、さまざまな「偶然」の出来事にさらされているのである。ということは、
人間は、出来事の出現をすべて見通し、それを支配することのできる神ではないということである。
人間は、非力で、無力なのである。しかし、それでいて、人間は、自分なりの情熱と威力において、
自己の本来的存在の証を立て、それを刻み残そうとする。 そうした覚悟のうちで初めて、立ちはだかる宿命的な
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05月04日(土)
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