ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4423, 老後の不安で天引き預金、の良し悪し
という言葉が、「魔法の言葉」なのではないでしょうか。
「元気になる魔法の言葉」は、もしかすると本や雑誌やテレビ番組の中にも見つかるかもしれませんが、何よりも身近な人の
言ってくれたこと、書いてくれたことにひそんでいるのではないかと私は思います。たとえば大切な人と別れなければならないとき、
別れの悲しみと苦しみが深ければ深いほど、どんな言葉も自分を元気づけてはくれないし、慰めてもくれないと思いがちです。
でも、もう言葉が何の役にも立たないと感じられたときにも、私たちのこころとからだの奥底で言葉はもがきながら生きています。
だから言葉にならない自分の悲しみ、苦しみが言葉になったとき、私たちは元気になるきっかけをつかむことができる。 
同じように、誰かが苦しみ、悲しんでいるとき、私たちはその人のこころとからだにひそんでいる言葉と共振する言葉を探します。
それはとても微妙で繊細な作業ですから、場合によっては言葉を探さずにただ黙ってその人のそばにいて、その人を抱きしめる
だけのほうがいいこともあるでしょう。辞書には載っていない「魔法の言葉」は、変幻自在ですから。   ≫
 ▼ 本を読むということは、書き手の意図を、自らに対する言葉に切り替える作業でもある。 一人も「あなたが大切だ」と、
  言ってくれなくても、著書を通して書き手から、私にとって自分自身が最も大切だと受け止められれば良いのではないか。
  とはいえ、それが出来る人は僅かとすると、やはり直接、誰かに言われたいもの。幼児期に両親から愛情を多くそそがれた人は、
 「あなたが、大切だ」という気持ちがシッカリと根付いて、その人の人生の土壌になる。 両親の愛情は大切である。
 ・・・・・・・
3683, 自己を見つめる −7
2011年04月26日(火)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  昔ほど、生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを見出し楽しめ」というようになった。
 生き甲斐は、それなりの覚悟と追求のエネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」には、それほどの重さはない。
 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。
  * 生き甲斐の探究
【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を求めている。生き甲斐のない人生を好んで求める人は、
 考えることができない。 生きるということは、みずからが、そこに意味を見出し、なんらかの有意義性の成り立つことを
 信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の基盤を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、
 辛苦や労苦を越えて、歩み進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。 それを可能ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。
 むろん、その生き甲斐という問題は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。 けれども、生きる意味を信じ、
 自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って生きる、という構造を含まないような人生設計や
 人間活動というものは、人間の生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、
 私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、
 自分の死に場所を発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと
 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を含まないような
 人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 たしかに、「人生、いたるところに青山あり」
 である。 しかし、ほんとうに死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易ではない。
 何人も迷いを免れがたいもの。けれども、人間は、最後には、自分を捨て、そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の
 住処を求めている。】

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04月26日(金)
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