ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4187, 呪いの時代 ー5
体験上、非常に納得する。 その辺のことが、以下に分かりやすく書いてある。 
  * 言語ゲームについて                ー「やさしい哲学」坂井昭宏著ー
【 「世界があり、事物や出来事があり、それぞれに対応する言葉がある・・」というこれまでの考え方に、ウィトゲンシュタインは
疑いを持つようになる。「言語は、それ自体の機能を持つ独立の体系であって、対象の方が言語によって意味づけられているのではないか・・。
そして、言語の使い手たちは知らない間に、特定のルールに従って言語を使いこなしているのではないか」と考えるようになった。
これが「言語ゲーム」理論の始まり。「あなたはバカ?」と言われたとき、「言った本人と比べてバカ?」というのか、「真からバカ!」か、
「世の中の大部分がバカだが、そのうちの一人?だろう」か、「自分がバカと自覚しているのか」とか、色いろ考えられる。
その状況により、その意味が変わってくるが、コミニケは、二人が同じ「言葉のルール」を共有してこそ成り立つのである。
このルールの共有の上で使用される言葉の使用を「言語ゲーム」とウィトゲンシュタインは名づけた。
「言葉の意味を知る」ということは、「言語の使用ルールを知ること」ということになる。言語は対象を写し取り、指示するものではなく、
行為し、働きかけを行うもの、つまり日常生活の基盤をなすものである。ウィトゲンシュタインは、学問も「真理の証明」は無理と考えた。
「語りえないもの」はもちろん、「語れること」にも絶対真理はない、とした。】
▼ 大方は、こんなものだが、言語ゲームを意識的にしていると、底知れないゲームの奥行きを直感する。人間は、言葉を冷静に
 見つめないと、マスコミから怒涛のように流れてくる言葉に人生まで狂わされることになる。 言葉は頭も心も支配する。
 所詮、配列でしかない言葉に、溺れ、窒息死をしてしまう危険がある。 「今日は、これまで最高の日、私は幸せ!」
 たったこれだけの言葉の後に、次のキーワードを組みたてる訓練さえすれば、その通りになるのに、逆の言語構成をしている日々。
 ・・・・・・・
3457、秘・異郷ツアー、よもやま話 ー8
2010年09月12日(日)
 * アフリカに魅せられて ー2
 以前にも書いたが、ケニアのマサイマラにあるマラ川のヌー河渡りが圧巻だった。「ヌーの河渡りツアー」に参加したのだが、
10人のツアー仲間とサファリのプロの日本人がつく。サファリカー二台に分譲して、マラ川近くでヌーとシマウマの群れの集結を待つ。
そして、遥か彼方に集結するのを発見すると、気づかれないように近づき渡る瞬間を待つ。30分、一時間は待たされる。 次の瞬間、
地響きをあげて川に飛び込む。 それを隠れ潜んでいるワニが力強いあごでヌーやシマウマに襲いかかり、水の中に引きずり込む。
そこは生と死のドラマが繰り広げられる。それが緊張に満ちており、感動的である。それまでTVで何度か死闘を見たことがあるが、
生(なま)の現場でみると迫力が全く違う。 河渡りの途中に襲われ、一度水中に引っ張り込まれたシマウマが最後に、
ワニを振り切って生還する場面が圧巻であった。 また、渡りきった後に、水辺から上に登ろうとするが、力尽きて河に流されていくヌーと、
力を振り絞って何とか登りきるヌー。 それを近くの藪の中から見るのである。 正に生と死のドラマの真っ只中で見る。 
アフリカのサファリに魅せられるのは、生と死の狭間で動物が大自然の中で生きているエネルギーが直に感じることが出来るからである。
動物園内のライオンやシマウマと、野生のそれとは全く違うのである。最近、Youtubeで、ライオンなどの狩りの撮影が投稿されて
いるのを見るが、これも迫力がある。 私が参加したチームの6割がリピーターで、ヌー・クラブをつくって東京で会合を開いているという。
都会生活に疲れ、癒しを求めているという。 「オンリー・ユー」をかけて「オンリー・ヌー・クラブ」とか。ここで驚いた場面に出くわした。 

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09月12日(水)
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