ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4045, 末っ子はつらい ー3
自己を見つめる、その自己とは? そもそも何だろうか? その自己は、「少なくとも、この世で、自己として
瞬時の光芒を放って輝いた」のである。 この世に表れでたのは、その存在理由があったのである。
ー 第五章 自己 ー
【 およそ、あらゆる芸術家、学者、政治家、実業家などの、人類社会に貢献した人々はみな、その生涯において、
自己決定の稀な瞬間を生きとおして、それぞれ個性ある一生を築いて、この世を去った。 もちろん、そうした際立った、
選り抜きの人々以外でも、考え直してみれば、あらゆる人間がみな、それぞれなりに、自己の人生と運命を生き抜き、
そのかけがえのない人生の軌跡を描いて、自己の人生を全うしようとして、一生を走りとおしたと見なければならない。
むろん、この世の人生においては、不運や事故、挫折や失敗が付き物であり、多くの人々は、志半ばで、不幸のうちで倒れ、
意に満たない、悲運のなかで一生を終えた。けれども、人間はすべて、最後には、自分らしい生き方を、運命として肯定しながら、
この世に別れを告げる覚悟で人生を生きるものである。そこに、ほかならぬ、掛け替えない当の自己自身の人生が、一回限りの
形で生起し、代りの不可能な、それなりの個性と必然性をもったものとして刻まれ、こうして、永遠の闇から闇へかき消え、
あるいは不減の魂のなかに久遠の記憶として残され、少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いたのである。】
【 大切なのは、人間の存在の必要条件と十分条件とを峻別することにある、と。
人間が生物としての機能を果たして生きるということは、人間の存在の必要条件を満たして生きるということにほかならない。
また、人間が社会的存在として、なんらかの環境や境遇のなかに置かれて生存を営むということも、人間の存在の必要条件を
満たして生きるということのうちに入る。けれども、それだけでは、真に人間的な自己自身として生きるということの十分条件が
満たされたということにはならない。衣食住の欲求を満たし、胃腸や呼吸が正常に機能し、なんらかの社会的環境のなかに置かれて
生きるということならば、誰もがやっていることである。むろん、そこに、胃腸の丈夫な人とそうでない人、あるいは比較的恵まれた
環境に生きる人とそうでない人との差異はあるであろう。けれども、そうした所与の心身の資質や社会的環境のなかに
ただ置き入れられて、それにまったく受動的となり、なんら奮起することがないのならば、その人は、ほんとうには、
まだ自己自身に目覚めてはいないと言わなければならない。 】
― 自己の存在の十分条件を満たしたかどうか、それも充分かどうか、それぞれあろう。それは個性を発揮できたか、どうか。
・・・・・・・
3314, 聞きしに勝る3D/TV
2010年04月22日(木)
最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて食べているが、昨日は、新潟駅の中華店でランチ。
その後、ジュンク堂書店に向かう途中、ビックカメラの前を歩いていると、話題の3D/TVが店頭にあった。
昨日の新聞で一部の店舗でデモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの
50インチのプラズマ。当たり外れの、当たり。しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければならないので、
替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、一度頭を冷やした今週末に、シャープの60インチの
LED・TVを発注と決めていたが、「3D/TVが700万台の新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気になっていた。
そこで早速、見たところ、その決心を覆すほどの画面。映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大したことはないと、
思っていた。 ところが実際は映画より良い。映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、更に画面の奥行きができた
イメージで立体感を出している。デモ用の3D/TVはメガネが固定してあるので、メガネをした時と、しないで見たときの
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04月22日(日)
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