ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3906, 閑話小題
そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。
それぞれの人生があるからである。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。
所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。
「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。
「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。
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3166,シュリーマンの話  ー3
 2009年12月05日(土)
 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。
 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、
「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。
 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが
 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」
 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。
 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。
 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。
・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、
 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。
 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に
「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。
 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。
 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を
 ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。
 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。
・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、
 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が
 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で
 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。
   =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。           つづく
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2801, イングランド・ツアー 
 2008年12月05日(金)
 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、

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12月05日(月)
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