ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3799, タブレット式パソコン
聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。
誰が苦痛の際で生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴い、やってくる。
人生は生きているうち!美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして最期は、
のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など言っていられない。
何処かのホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。
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3059,逆説思考 −3
2009年08月20日(木)
* 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、死と隣り合わせの日々で、
コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求めるのではなく、人生が私に何を求めているか。
そう、生き抜いて愛する人と再会をし、自分の残してある仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか?
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」をまず追求すべきである。
しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、その価値を受け容れることが難しい。
それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげることができないのである。
人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」のである。その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を
追究している。彼は「器官なき身体」という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と「欲求」によって動いている。
喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。
しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの水の交換だけで動くものではない。
それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、人間も、身体の生理的欲求だけでなく、
「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを「器官なき身体」とドゥルーズはいう。
ー彼は以下のようにいう。 (*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時ードゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体』の生命力のことである。
赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、
そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する力であり、「存在そのもの」が指し示し、
進んでいこうとする方向性である。「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。
辛いというのは、その「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。
この辛さを克服するには、「器官なき身体」の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。
それは、別の存在と衝突し、その価値観を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。
その闘いを、ドゥルーズは『あいだにおけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、
「存在そのもの」へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、
「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。
「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの価値判断を行うことであり、
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08月20日(土)
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