ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3766, ユング ー9
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
 2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」

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07月18日(月)
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