ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3711, ジャズについて −6
20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される 
1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビュー
までも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
     (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。 
彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。 彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 
彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に
至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
しかし、著者は到着のためにさすらうのではなく、「さすらいのためのさすらい」、「さすたいのうちに住まうこと」
「住まいながらさすらうこと」すなわち「旅を枕とすること」を主張している。 我われが住まう空間を個々の物質的に限定された
家の枠を越え、天と地のあいだの空間、すなわち世界という家と解釈するならば、そこは我われがさまよう空間でもある。
 さすらいの人生、そういえば哲学的だが、元々人類は一万年前までは、さすらってきたのである。
それが天変地異があり、採取では生きていけなくなり、実のなる木を植え、動物を囲い込んで飼うことで生き延びてきた。
そして、それまでの移動生活から、固定した家をつくる切っ掛けになったのである。
だから、さすらいという言葉に人間は本能的に憧れを持つのである。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、
ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス(池田晶子に話をさせている。 
ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。
確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 でも、世の中って、そういうもんて言や、
そういうもんなんじゃないの。 (中略) あたしは、自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。

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05月24日(火)
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