ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3709, 自己を見つめる −25
そして発行する国債の限度が尽きた時、自前で札を刷って、それを国債で賄えば良いだけと著者は主張する。
しかし、これは禁じ手と前から言われていること。 この辺から著者の論に疑問が出てくるが・・。 国の金融資産も、
アメリカ国債を強引に買わされ、その額が500兆というし、楽観視は出来ないはず。 ただし消費税がまだ5パーセントと、
20〜25パーセントまで余裕?がある。 (ここには書いてないが)それを資産価値に換算すると500兆円。
しかも国民の銀行預金や企業の預金などで国債借入れを賄っているので円安になった時のリスクはない。
(もし外貨建てなら90円が150円になれば、借金が900兆円から1500兆円に増えることになる。)
知人から「国債は永久債にして、返済は一切しない!で、金利だけ払う方法がある」と聞いたことがあるが、金利をしっかり払えば、
子供たちも何とか我慢してくれるか? そのため諸外国は日本の国債の異常な数字には、あまり危険視をしていないというが・・。
ところで、リーマンショックで欧米がニッチモサッチモいかなくなってしまった。アメリカは軍事力を背景に新ドルの
「アメロ」の切り替えで、デフォルトをしてくる可能性があるが、ユーロ通貨の矛盾も見ているので躊躇するだろう。
「日本経済がすごい!」稼動かは疑問だが、1400兆の預金は中途半端な金額ではない。
それと、消費税の10〜15パーセントの余裕もあるか? さらに永久国債化と、日本銀行の国債買い入れ、デノミ、
道路公団の株式化による売却に、地方分権と称した切捨てに、・・ギリシャのように、気楽に生きましょうか〜
ったく! ー続くー
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2969、住まうこととさすらうこと −1
2009年05月22日(金)
「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著 ー読書日記
*世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 舟の上に生涯を浮べ、
馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。
住まうこととさすらうこと、さすらうことと住まうこと。 人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。
そこで学生時代の寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっていることが解る。
そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。 東京に舞い戻り、金沢に、住まいさまよい、長岡に舞い戻り、
千葉に、そして、再び長岡・新潟に 住まいさすらってきた。 人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、
その一言一言が鋭く心奥に響いてくるのである。通勤途上に私と同じ年位のホームレスの姿が「住まうこととさすらうこと」
を目の当たりに見せつけられる。 住まうことは、特定の場所に、特定の時間にいることである。
それに対して、さすらいは、動いており、過程にある。異郷の馴染みのないものの挑発に実をさらし その中から身の証を
立てていかなければならない。 その経験が、その人の人生である。住まうことは「より自然に生じたもの」、
より大地に結びついている。それは、「屋内」という閉ざされたなかで、緊密な領域でくつろぐことである。
そこでは、開かれた外を忘れ、ゆったりと落ちつくところである。しかし、住まいのないさすらいは、ただ落ち着きのないだけ。
住まいがあるからこそ、さすらいがある。「男はつらいよ」の寅がそう。正しく人生は、住まうこととさすらうこと、である。
だから、この本に引き込まれ自分の人生を重ねてしまう。人間の存在が、住まうことであるなら、それは
「世界という住まいー家ー」に住むことである。天の下、地の上を我が家にしていることを自覚することである。
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05月22日(日)
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