ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3678, 自己を見つめる −5
著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、それを再び時間において
くり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが従事する生きた対話と、
それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話
という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると自慢する
テウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
〜〜
対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を
読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。
その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。
現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。
それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが!
議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること! チロリチロリだけでは、だめか?
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2938, イエスマン
2009年04月21日(火)
先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した
ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、
“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、
週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。
ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。
パスしていたら始まらない」と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
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2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?
2008年04月21日(月)
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが
できなかったのである。 ー『山椒魚』本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に
迷い込んだ蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)
ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、
悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が大きくなって出れなくなって
云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。
所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、同じことかもしれないが。 その後人生を重ねて自分を振り返ると、
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04月21日(木)
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