ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3379, 改めて、現時点を考えてみると
使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している
のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。
まあ、それが人間か〜。
(後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。下手に説得力が
あるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
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2640, ブランド品 ー2
2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、これは面白い対象である。
もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。
それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちではないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから
何段か下の人たちである。ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、
自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。
それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。
またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。
知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。
人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。
フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。
それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。
だから、銀座のブランドショップで買い物をする人は、それを買うに相応しい人ではない。
成金か、その家族か、自分に自信を持てない、その階層?の人たちである。「中村うさぎ」がブランド品偏執狂と自認しているが、
カタチは色いろあるが、ああいう人たちがメインの客である。考えれば直ぐに分かるだろう、ファッション関係の人は、
ブランド品は身につけない。付けていたら、その人はファッションセンスが疑われてよいはず。
頭の軽いタレントや成金の類が、それを飾り立てた姿をみれば解るだろう。
ぶっちゃけた話、家内が、旅行に行く度に一品は買う。 見ているだけで腹が立つが、喧嘩をすることもないが、
常に誰かを想定して自慢をするのが見え見えである。 それも・・・まあ、止めておこう。
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2001/12/19 261,ブランド品 ー1
2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。
それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
(字数制限のためカット 2010年6月26日)
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2007年06月26日(火)
2275, 希望格差
(p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
(そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、
何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い?
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06月26日(土)
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