ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3348, 閑話小題
脅し取る権利が前提である。それを知っている町内の人は誰も金を使おうとしない。ところが、悪党が改心をしないで、
上手くいくケースもあるのである。 町内が対象となる大規模再開発計画が明らかになり、いきなり投資資金が
流入し始めた場合が、これに当たる 》
解りやすい例え話である。特に「まえがき」のニッポンATM論が、何とも上手い例え話し。
後者の方も、私もそう信じさせられていた。悪党が裁判所と警察とグルときているから絶望的である。
町内の人もある日、その事実を周知する。それが何時か?近い。結果として株価暴落と、ハイパーインフレ?
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2609, サルトルについて、考えてみる ?1
2008年05月26日(月)
..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。
サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」
というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。
・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、
ということだけは疑うことが出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
それをサルトルは批判をした。 彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の
「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。
つまり反省している意識とは、意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
ー 等々である。
次回は、新たに知ったことを要約してみる。 ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2
゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」
と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通り。
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05月26日(水)
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