ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3241, 中学同期会にて
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。
自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に陥る瞬間が多くなる。
これが人生の秋口の心の風景なのだろう。早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが、遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 −−
P−37
アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、
あの狭き門という題は聖書の有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。
「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない」(マタイによる福音書七の13−14)
この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。
あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って自分の妻にするのであるが、
そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りを
ひらこうとするのだが、どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。

諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門からはいろうとされるだろうか
門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。
「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。
門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
イエスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 ーー
P−38
「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして生きてきたことを告白している。
自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。
それなら、人々に対してもそのことをしてやるべきである。
人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
この黄金律は、本当の人生の旅路において幾らでも応用のきくルールである。
だから黄金律と言われるのである。
 −−
*「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。
  門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」
*「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
*「自分を愛するように、隣人愛しなさい」
*「右の頬をはたかれたら、左の頬を出しなさい」などの黄金律が40年近く経って、
 その意味の深さが少しずつ理解できるようになったということだ。 でも、難しいが、
 ことあるごとに口にしていれば、少しは実行をするだろう。ボランティアか〜。 
 群れてでも、しないよりよいのか?群れる何処が悪いのか? 群れることは、それより悪いのか?
・・・・・・・・・
2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
*細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。
ところが、ここに来て復活。歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、
バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)   
    ーー

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02月08日(月)
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