ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3136,脳と日本人 −2
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。
主人と知り合って妻になり、長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。
主人が交通事故のために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
女の一生
二十代 美しく 三十代 強く 四十代 賢く 五十代 豊かに
六十代 健康に 七十代 しなやかに 八十代 艶やかに 九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも健康に気をつけて、
しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、
二十代 七転八倒 三十代 激しく逞しく
四十代 ゆるやかに、よろよろと 五十代 面白可笑しく、三十年分を
六十代 静かに 穏やかに? 七十代 (やはり)しなやかに
・・・・・・・・・
2007年11月05日(月)
2407, こころの旅 ー6
○´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」の内容で満ちている。
それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
・一歳半〜五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回のコペルニクス的転回を指摘している。
私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
−−−−−
*人生の三回のコペルニクス的転回
・第一の転換期については、ピアジュは子どもの研究において、一歳半ぐらいまでの幼児は
すべてを自己中心に考えているけれども、一歳半ごろから自分の活動を自分のからだから
「脱中心化」し、自分のからだをほかの客体の中の一つとして見ることを始める。
これは四歳ごろから顕著となり、五、六歳ごろには本格的なものとなる。
つまり、空間における自分のからだを客観的に見ることができるようになり、
ものを抽象的に考えることができるようになる。これが第一の転換期という。
・さらに思春期ごろから第二の「コペルニクス的転回」が起こる。 青年は時計の「物理的時間」は便宜上のものに
すぎないということがわかって来て、超時間的な、抽象的な時間概念をも持ちうるようになるという。
つまり時間というものは極めて不思議な、哲学的な問題であって、青年期にこの問題に思いをひそめる人は必ずしも少なくない。
(字数の関係でカット09年11月05日)
・・・・・・・
2006年11月05日(日)
2042, 田舎に泊まろう!
。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「田舎に泊まろう!」を見ながら、この文章を書いている。(11月4日9時半)
地上放送で土曜日の9時25分に、夜はBS/TVで、20時に放送しているが、最近はどちらかを必ず見ている。
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11月05日(木)
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