ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3094,久々にジョーク −2
オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに
建てられたかにかかっている。すべての議論にとって最も強い骨組みは「ストーリー」である。
「さあ、お話をしましょう」 ストーリーを話すというのは、大昔から互いに教え合う大事な手段だ。 
たとえば焚き火を囲む集まり。一族が皆、焚き火を囲み、目をまん丸にした子供たちが大人の後ろからのぞき込んで
一心に耳を傾けている。過ぎた日々の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。人々は物語から何かを学んだ。
サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、
そして長老がいかにして嵐を生さ抜いたか。愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語
隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。人間の知識はすべて、太古にはストーりーの形で伝えられてきた。
ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけだ。ストーリーを話し、それを聞くという行為は、
人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、
大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。
意識のなかにも無意識のなかにも永遠に植え付けられる。私たちが楽しむ映画やテレビドラマ・芝居・これらは高度に
進化した形のストーリーだ。一番効果的なテレピコマーシャルは、三十秒あまりの小さなストーリーだ。
ジョークも小さなストーリーだ。世に名を残たと偉大な教師はストーリーを使って教えた。キリストの讐え話もストーリーだ。
p−180
ストーリーの議論はなぜこんなに力強いのだろうか。それは人間本来の言語形態で語るからだ。その構造が自然だからだ。
話し手が「心の底」から、気楽に正直に力強く話せる。 興味をかき立てる。ストーリーは、どんな議論にも混入される
恐れのある「停滞」という名の最悪の毒に対する解毒剤なのだ。私たちはストーリーに心を動かされる。
ストーリーは、私たちが常に決断を下す、柔らかく無防備なところ、すなわち「感受性」に触れるからだ。
わりに作られる。自分自身に「自分は何を望んでいるのか」と聞いてみなさい。危険な道路を拡張してほしいという希望を
郡行政委員会に推し進める論題は「郡行政委員会には人々を守る義務がある」ということだ。裁判官に相手方の訴訟を
却下してほしい。論題は「相手方が訴訟を起こしたのは、裁判所が紛争に判決を下す前に、土地を略奪するためだ」ということ。
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!

              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに
日本からの即席の「お嬢様」がアホづらをして参加しているとか、辛らつである。
(こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的な
ハイソサエティーな雰囲気をもたらすからである。しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。
確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、何か音楽音痴は自分だけのように思うが、
現実は一部マニアの道楽でしかないと中島がいうから確かなのだろう。以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は
「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、
話を聞けば趣味の一つでしかないし、度々行くほどの事でもないことが解った。そんなものでしかないが、といって趣味
なのだからケチをつけることもない。しかし新年に限り、私もそのコンサートの番組だけは観ているが、
新年の荘厳な雰囲気は素晴らしい。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
 ー妻との壮絶なバトル、くたびれ果てたー

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09月24日(木)
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