ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2887,日本は輸出立国か?
ー解ー 何がチャンスか、それを常に問いかけていないと敏感になれない。
“持てる資源を一度に使い切らないこと。今の境遇を保ちたいなら、後方に備え・蓄えを用意しておこう。
失敗の恐れがあっても、利用できる援軍があれば力は倍になる。後方部隊は、前線より重要といえるだろう。
彼らは信頼と不屈の精神で成り立っているからだ。常に大事をとることを考えよう。
ー解)当時の彼に孫子を知るはずもないが、孫子の兵法と同じことを所々で述べている。
“人には七年ごとに転機があるという。これを精神向上のためのしよう。
最初の七年は知性の誕生で、その後七年ごとに新しい美徳が輝いてあらわれるのだ。
この間に起こる変化を意識して、うまく手助けしよう。 変化は新しい地位や仕事などの形で
ごく普通にあらわれるかもしれないが、かなり大きくなるまで気がつかないときもある。
人は、二十で孔雀のように気どって歩き、三十で獅子のように吠える。
四十で酪駝のように節制家となり、五十で蛇のような陰険さを身につける。
六十はくだらない犬、七十はする賢い猿、そして八十は……、何も言うまい。”
ー解)ーくだらない犬のとしになったか? それにしても辛辣である!
・・・・・・・・・
2007年03月01日(木)
2158, 幸福に驚く力 ?4
(~Q~;) おはよう?? キョウハ スゴク サム?
ーまずは、要点の抜粋から
*日常の幸福に驚く力*
何かを買ってもらった喜びと、何処かに連れて行ってもらった喜びを除いた、子供時代の一番幸福な思い出は
何だろうかと考えると、チョッとしたことの中に喜んだことを多く発見することができる。
つまり日常にあるそういう幸せをしっかり受け取る力が子どもにはあるのです。しかし、それを放っておくと、
イベントや買い物の方にいってしまう。そういうものに邪魔をされて見えなくなってしまう。
そして「凡庸で退屈なことは悪だ」という情報社会の空気の中で自分たちの日常なんてつまらないものと
思い込まされていく。そういう力が今、私たちに色いろなカタチでのしかかってきている。
そんな中で子どもの文学は、日常の中にある幸福に驚く力を培ってくれるのです。
問題は、そういう物語を手繰りよせる力が弱まっていることですね。
とにかく、いつの時代でも、読み書きはちゃんとしておいて欲しいですね。
読む力が衰えてきますと、先人の残した素敵な日常の物語、幸福物語が、手元に手繰り寄せることができなくなります。
数々のそういう物語がすぐ傍らで手が伸ばされるのを待っているのに。そうなると、一人一人がただ孤立していきます。
解)昔の日記を読んだり思い出など過去を振り返る時「そこにある日常に、むしろ面白い深い人生の意味が含まれている。」
という視点で見直すと、過去が違って見えてくるから不思議である。
その時の淡々とした日々のちょっとしたことの積み重ねが人生なのである。
そのことに気がつけば、現在の日常のチョッとしたことや、何でもないことの中にある幸せに気づくことになる。
何故そのことに気づかないのだろう?それは「自分が物語の中で生きていることに気づいていない」からである。
もし本人が不幸と思っているある日のことでも、冷静に振り返れば幸福が背後にあったことに気づくはずである。
*凡庸や退屈が悪と思わせられる社会*
「これから入っていく情報化社会は、価値観が相対化され、思い軽いがない、みんなのッぺらして凸凹のない社会になる」
「この社会は、物珍しく刺激的なことが善とされ、凡庸な退屈なことは悪とされる」と西垣通がいっていた。
解)『「凡庸や退屈が悪と思わされる社会」が悪い!』というのも、『いや二度とない人生、凡庸は「悪い!」』というのも、
所詮はそれぞれの人の判断で、相対的なことでしかない。でも、内省してみると、凡庸を悪と思ってきた傾向があったようだ。
「二度とない無い人生!悔いの無いように生きるべし」が人生と信じるなら、凡庸と退屈な日々を否定する人生になる。
それも相対の世界観でしかないが。
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03月01日(日)
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