ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2815, 不況景色 −4
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
  荒川洋治、東大教授(日本政治思想史)日記の「新年」 (._.〃)ゝ…バイバイ

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私のように読書の要約を残すため公開するコーナーや、日々の社会の感想を何気なく
書き続けることで、より周囲や社会を深く広くみることを動機にしている輩にとって、
誰にも見せない日記も必要になる。それでも、いつか誰かに見られる前提で書くしかない。
そうだとしても独り自分に対峙する日記は、必ず習慣として持つべきである。

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2006年12月19日(火)
2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!−2
           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!   
  「知ることよりも考えること 」−B  読書日記
             
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み言いなさい。
 それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答えるのだろうか?
「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
 ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。             
   
   ー生きていること自体が神秘体験だろう!−
  ーー
 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、本当でも嘘でもない。
 知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。
 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を「本当のことだ」と思っている。
 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。
 本当か嘘かさだけではない。 そんなもので本当に救われるのだろうか。
 人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。
 オーラやカルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
 だから、生まれる前とか死んだ後とか、どこか別のところに神秘を探しに行くのだ。

 神秘を見つけて、神秘だと騒ぐ。そんなことができるのも、自分が存在しているからこそという神秘には、
 どういうわけか騒がないのである。自分が存在していることは、科学的には説明できず、理性によっても理解できない。
 なんでこんなものが存在し、これが毎日生きているなんて、とんでもないことである。
 驚くべきことである。私には毎日が神秘体験である。
 じっさい、「存在する」ということは、それ自体で生死を超越しているのだから、「生前」「死後」は眼中になくなる。
 逆に、存在の神秘の前には、そういうものは全て物語だということが、ハッキリ見えてくる。
 「毎日を生きている」と、とりあえず言ったが、その意味で毎日が死に瀕している。
 毎日が臨死体験である。生きているという神秘を知れば、死後の神秘には用は無い。

 なるほどこの世には、霊能者、霊媒、魔法使い、「常人」が所有しない能力を所有する人は存在する。
 普通の人が見えないものが見える。できないことができる。物語が語れる。単にそれだけのことである。
 だからたとえば、非常な有能な霊能者が現れ、宇宙開闢以来の全歴史が見えると言っても、

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12月19日(金)
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