ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50lが所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。
 日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドルだった。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が
 0.89に対して、アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、
 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、
 預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、
中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一lという。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!
                ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・
2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり −7
            才八∋ウ_〆(∀`●) 

    幸福論も、あるところまでいくと、生死の問題に深く関わることになる。
    しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
    観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。
    といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、思ってしまうのが人間の性。
    不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
    前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。
    知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた! 
    これが現在の心境である。
   ーー
「あたりまえなことばかり」
W・ 幸福はどこにあるのか ー A

我われの幸福の観念は、生死についての観念に分かちかたく結びついている。
「死後」もしくは「来世」の観念の有無で、人の幸福感は劇的に変わるのである。
人類においては、「人生を、この世に限定しないほうが長かった」。
「私」という観念が、それと等しく漠としたものであったために、彼らの幸福はもっと大きくて広い、
何か天地自然のありようといったものに近かったようだ。しかし、「科学主義的的死生観」が、
われわれの観念のほとんどを規定している現代のような時代では「私」が存在するのは一方的に前進する時間軸にごく限られる。
その限られた時間の枠内で、私はなんとか幸福にならなければならないのだから、現代人の幸福は、常に脅迫的なのだ。

   何が脅迫的といっても、「私は幸福にならなければならない」というこの観念以上に、脅迫的なものは無いだろう。
   人はなぜ幸福でなければならないのだろうか。「幸福」という観念を持つと同時に人は不幸も所有する。
   「幸福」は言語、「私」もまた言語、おそらくは、言語以前の何らかそのように、とりあえずソット添えられていた
   名札のようなものが、言語以上の何かを指示すると思い込んだ時、それらはその反対物をも指示することになった。

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11月14日(金)
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