ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2777, 仮説思考 −4
ー地検特捜の恐ろしさー
 ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)
                    ○´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・・・
2006年11月11日(土)
2048, あたりまえなことばかり −4
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
                      ー 読書日記
「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。
このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。
「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。
 せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。
 彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・
 さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、
 存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、
 ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。
 問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」
 生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。
 −−
 
「あたりまえなことばかり」
V 生きているとはどういうことか −@

「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、
人はあまり問わない。意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。
このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や目的を問うべきである。

    生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!
    と答えるしかない。死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
    普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
    他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
    もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思うんですね。
    ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろなことがわかってくる。
    死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。
    そこで納得するが、ここも大事なところですが、無というものは無いから無なわけです。
    無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、
    そこで言われている無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。

にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。 その視点を手に入れると、
死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。無いものを在ると思っているのですから。
思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと、「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。

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11月11日(火)
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