ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2776, 仮説思考 −3
・暴対法の実施から、構成員の半分が準構成員になってしまった。警察の目から隠してしまい、マフィア化が進んでいった。
昨年末で構成員4万1千に対して準構成員が4万3千と準構成員の数が上回った。
シノギも不景気で厳しくなり、ファジーのパート化?分社化していった。
・警察も暴力団との癒着を恐れ、接触を避けるようになり、暴力団も組織の情報統制を図り、対決姿勢を露わにしだした。
・中小の暴力団は弱体化が進み、地回りなどの収入が激減、多くが消滅していった。
反面、山口組が、その中で過半数を占める寡占化が進んだ。
以前は、構成員は普通のスナックではあまり見かけなかったが、最近は得体の知れない怪しげな風体の男を
彼方此方で見かけるようになった、そのため繁華街には以前のように気楽に歩けなくなってきた。
素人(チンピラ)のアマチュア化、プロ(ヤクザ)のセミプロ化ということか。
堂々と犯罪組織が看板を上げているのは世界広しといえども日本だけというのは、
如何いうことだろう?
ヾ(・д・。)バイバイ
・・・・・・・・・
2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり −3
オッ(*^○^*)ハ〜
ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。
そして「きちっと考えれば悩まなくなる」というが、そのとおりである。
自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
ーーー
「あたりまえなことばかり」
U・ 考えるとはどういうことか ーAー
ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、
如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。
考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。
この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。
考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。
考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。
なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、
また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり
することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。
万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。そうすると再び、
今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
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