ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2774, 仮説思考 −1
わたしは不思議でたまらない たれもいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが

ーーー
我われは、いとも簡単に「あたりまえ」と思っていることでも、少し考えてみれば、不思議なことばかりである。
自分が現に存在していること自体が、「あたりまえ」ではない。偶然の一致の重なりで現在の自分が存在している。
その現在の自分が存在している宇宙そのものが不思議である。 それに気づくかどうかである。
不思議な体験を何度もしてきたが、それよりもっと不思議なこと、「いま、ここにある 自分」こそ、不思議そのもの。
その不思議をじっくり考えないから、せっかく不思議な宇宙、そして地球、自分の深さに気づかないのである。
そのためには「あたりまえ」のことに驚かなくてはならないのである。 感謝、感激、感動を周辺の全てから
感じ取らなければならない。最近、とくに感じるのは「いま、ここにある 自分」である。
これほど不思議な瞬間はないのである。こうなると哲学になってくる。あたりまえのことに、驚きを立てることである。
偶然、去年、池田の「あたりまえのことばかり」の書評が書いてあった。
面白いものだが、彼女の「あたりまえ」のことは、普通の人のいう「あたりまえ」とは全く違う。
「あたりまえ」と思っている全ては「あたりまえじゃない」ということ、それを全て疑いないなさいということが、
「あたりまえ」ということを言っている。 少し、ややこしいが・・・

・・・・・・・
2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
   「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著  ー 読書日記 
                 (。^0^。)オッハ〜
                 
 この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
 それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること? 
 まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
 当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
  ーー
U 考えるとはどういうことか ー@ー

 *私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
  人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
  この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
  それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
  毎日を生きているわけ。
 *キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
  あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
  忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
  ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
 *どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
  驚くしかない、驚けばそこから必ず考え始める。 なぜなら、知りたいからです。
  アリストレスも最初から言っている。哲学は驚きから始まるうる、と。驚きの無いところから、知りたいという
  動きは始まらない。考えることで、誤解されていることは、何かを悩むことだと思われているが、これは正反対のことです。
  考えることは、決して悩むことではありません。きちっと考えてないので、ぐずぐず悩むのです。

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11月08日(土)
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