ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2772, アメリカの人種比率は?
ですから、その中で彼ら彼女たちがどうやって生きていくかということが、私のドラマのべースになっています。
今NHKのテレビ小説で「私の青空」というのを書いていますが、未婚で子どもを産むという女の話です。
未婚の母というのは、もしかしたらいいことでないかもしれない。実家の親には怒られるわ、世の中は生きにくいわ、大変。
だけども、未婚の母になることさえできないで、恋人もいないで、セックスもできないで、
という女たちがいっぱいいるわけです。 その人たちの方がもっとつらい。
よく「男にだまされて貢いで捨てられて…」みたいなことを書いた手紙が来て、
ドラマにして下さいと言われるのですが、ほとんど興味がわきません。
というのは、「男に貢いで捨てられて妊娠して、その子どもが死産で……」
っていうすごい事故みたいなことがあったとき、それは逆に男運がいいということです。
そういう男と出会うことはめったにない。 それを男運が悪いと言っていじけているのはむしろ陶酔なのです。
私は、そうでなくて本当に男運の悪い女たちをいっぱい見てきているわけです。
それは何かというと、男がいないのです。 全然いない。 好きも嫌いもない。
通り過ぎることさえない(笑)。 おそらく世の中の人たちが考えているよりも、
恋人や恋愛というものが実生活の中にない若い人たち、二十代、三十代が結構いるのではないかという気がします。
現実にずいぶん見てきました。 だから、例えばふられて泣くなどというのは恵まれた話なのです。
「つらいことでもあった方がいいよな」というのは、そういうことです。
  ーーー
  この文章を読むまで、ドラマとは、男に捨てられた立場の女を描くものと思っていた。
--以下は字数の関係でカット(2008年11月06日)
              ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю  
・・・・・・・・・
2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想  −17
               才八∋ウ_〆(∀`●)
  ーこの本の‘まとめ’になるー
   今年は「面白い本」の当たり年であった。 この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。
                                    ( ̄∇ ̄ |||  
   私たちは考えごとをする時に、略しているかどうかは別として、《私》という言葉を常に使っている。
   意識しないのを含めれば一日数百、いや数千回は使っている。そして、取巻いている世界からは、他人の《私》の
  「超越確実言明」を聞く。人間関係の軋轢の中で都合よく自分勝手な理屈をつくり上げ、
   その歪みに全く気づかないのが人間。さらに悪いことには他人の歪みには敏感に気づくときているから始末が悪い。
   近代哲学などで多く「私」について扱われてきたが「<私>について何か解りやすい理論がないものか?」と考えていた矢先に、
   この書に出会った。「他者」と「他人」の違い}も解りやすい。「他人の知らない部分を他者」と思っていた。
   自分自身の知らない一面をみてもゾッとすることが度々あるから、自分の中にも他者がいることになる。
   ユングの「意味ある偶然の一途」の経験など、まさに未知なる自己である。

   「自分の物語」の中で他者を勝手な配役に振り分け、俺様は主役。主役の俺様にとって、他者へ役割が「他人」になる。
    自分の人生劇場の登場人物として都合の良い役割を決めつけてしまうのだ。
    その都合よい物語の中で他者を端役として位置づけ、都合の悪い相手は悪役にしたて、
    都合に良い相手は善役にする。自意識過剰な軽い女子学生が唯我独尊の独り芝居をしている「あれ」である。
    数年前に亡くなってしまった同級生が、チンドン屋のような独演をいていたが。
    まあ、人生は全ての人が多かれ少なかれ、同じようなものだろうが。U(^(ェ)^)U
    
    自分のことさえよく解らないのに、他者のことなど解るはずがない。

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11月06日(木)
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