ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2703, 「レンタルの思想」−7
真理をさけて通ることは、さけて通ったという事実が残る。
ーー P−174
世の中で信じて疑わないことのほとんどが眉唾ものである。
とは、10歳の頃から直感していたが、ーそれを一つ一つ「やっぱり」と納得していく過程が私の人生であった
「ある」とは何か、「いま」とは何か、「私」とは何か、「善い」とは何か、
人生経験を積めば積むほど夜中に森の中をさまようようにわからなくなっていく。
とりわけ、このごろ「意志」と呼ばれているものは、ただの社会的取り決めにすぎないのだ、という思いが
強くなってきている。 私はすべてにおいて優柔不断であり、何かを選んだ瞬間に後悔することはざらにある。
「タンメン」と注文した瞬間に、「味噌ラーメン」にすればよかったと後悔する。
だが、すぐ取り消すのは恥ずかしいし、もう作り始めているかもしれないし、とあれこれ考えて、ぐっとこらえるのだ。
現実社会は、「タンメン!」と叫んだことは私の意志だとして、それを固定化しようとする。
なぜなら、注文を取った直後に次々にくるくる訂正が入ると、商売ができなくなるからである。
すべての約束について、守るまで約束遵守の意志があるとみなされるのも同じこと。
意志とは、かように実際的な要求から生まれたものにすぎないのではないだろうか。
何がこの行為を生じさせたのか、何があの行為を生じさせなかったのか、こう問うと、
実のところめまいのするほど膨大な「原因」を考慮せねばならず、皆目わからなくなる。
だが、わからないと、社会生活上不便なので「意志」という架空物をとらえてて、
錯綜する原因をごく少数に整理整頓し、それらが「引き起こした」というお話しをでっちあげているだけである。
そして、このインチキ芝居も、われわれが大きな禍に直面したり、あるいは他人に大きな禍を及ぼすとき、
化けの皮が剥がれ落ちる。 われわれは「意志」などというチャチな贋造物など投げ捨てて、
「なぜこうなってしまって、ああならなかったのだろうか」と全身で後悔するのである。
後悔は、意志とは論理的に両立しない。なぜなら、後悔とは、私が意志したことを、同じ私がまさにそのとき
「ほかの意志もできたはずだ」という前提のもとに悔やみ続けるのであるから。
だが、それは矛盾だといくら言ってもわれわれは後悔をやめない。
そういう場合は一般に、論理より実際の行いのほうが「正しい」のである。
なお、後悔はこういうタイプのものぼかりでほない。
われわれは、試験会場であのヒントに気づかなかった自分の不注意にも、寝過ごして、
ハレー彗星を見損なった自分の怠惰にも、後悔する。
(字数の関係でカット08年8月29日)
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そういうこと! 哲学など徹底的に割り切って鳥瞰していないと、
社会を混乱させるに過ぎないだけである。
☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年08月29日(火)
1974, 東京駅の一瞬の出来事!
Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・時差ぼけ!
ケニア旅行の帰路、最終の新幹線に間に合わないので日暮里に泊まった。
翌朝、東京駅の新幹線改札口の近くに行ったところ、
突如顔色を変えた黒服の背広の10人位が走ってきて通行をストップした。
一瞬、テロ爆弾の予告電話が入り閉鎖を始めたのかと思った。しかし、その直後冷静にみると何か違う。
黒服の男達は改札口の両側にロープを張って、その中に人を入れないようにしている。
「はは~、超ビップの新幹線の乗り込みのための警戒のための何か?」と直感。
逃げかけた家内を呼び止め「超ビッグのための警戒。面白そう見てみよう!」
次の瞬間に、カメラを出してと、家内がいう。近くにいた人がやはり携帯電話のカメラを出した。
私も一瞬迷ったが、バックにデジタルカメラを有ることを思い出した。
そのときは、皇室??を忘れて写真を撮っていた。
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08月29日(金)
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