ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2697, 散歩について
ホッファーが人気をもつきっかけは、テレビであった。
1967年、エリック・セヴァリードとの対談がCBSで放映され、大反響になった。
それから一年に一度、ホッファーはテレビ対談に登場する。
かれ自身はつねに目立たない存在を望んだが、どんな評価も名声もホッファーの生活を
豊かにすることも、その精神を危機から脱出させることもなかった。
社会や世間のほうがホッファーのような“例外者”を必要とした。
こういうホッファー・フィーバーのなかで、彼はまったく変わらなかった。
沖仲仕をやめて著述に専念するようになるのは六十五歳をすぎてから。
八十一歳で死ぬ(一九八三)まで、本を書きつづけ主要な著作は十一冊をかぞえる。
うち六冊は日本でも邦訳が出たが、現在も入手可能なものは一冊しかない。
これほど数奇な人生があろうかと思わせるほど波乱に富んでいるが、これ以上に面白いのが、
彼がいろんなところで出会った、数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。
この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがつまっている。
その一つ一つが、まるで短篇小説以上の仕上がりになっている。
こういった出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっているのである。
自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって生きつづける中で、
「人間社会における不適応者の特異な役割」という、彼の生涯を通じての思索のテーマ発見する。
「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、「人間という種においては、
他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ということと思いあたる。
つまり、「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。
そしてアメリカを作った開拓者たちというのも、実は、社会的不適応者が故に、
家を捨て荒野に向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だったのであり、
それがアメりカ社会の独特の特質をもたらしているという考察にも導かれていく。
ーー ー「ぼくの血となり肉となった500冊」立花隆著よりー
ホファーの思想の根幹を成しているのは「思いやり」である。
不適応者に対する温かい眼差しと理解である。不適応といえば、誰もが他人事ではない。
誰もが思い当たる自分自身へのレッテルである。自己不一致こそ、本来もっている近代社会の中の特質である。
それぞれが情報化の中でも孤立しているから、誰もが不適応の弱者と思い込んで自己嫌悪に落ち込んでいるのである。
組織内では、歯車の一つとして自分の自己存在の意識の希薄さに、孤独感にさい悩まされる「自己疎外」
に陥っているのである。それぞれが孤立している中で、それぞれが自己認識を深め、その中で他人を、
弱者を思いやることこそ、アメリカ社会の特質と考えたのである。
ボランティア運動も、このような思想の中から生まれてきた。
アメリカの開拓者は、実はそれぞれの国を追われたミス・フィットの人たち
放浪者だった!という説は、なるほど説得力がある!
逆に、ミス・フィットでない適応者?とやらが、哀れに思えてくる本である。
ホンジャ ミス・フィット紳士淑女諸君 ヾ(´Д`、)マタネ
−つづく
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2006年08月23日(水)
1968.事業百訓・・・E −1991・1992年(6)
H0301新年を迎えて!!
(字数の関係でカット 08年8月23日)
ーH0305事業百訓ー
376、(危)業 (気)業 (輝)業 (起)業
(基)業 (旗)業 (企)業 (機)業
377 、神よ!出切きない事を諦める能力を与えたまえ、
そして出来る事をやる能力を与えたまえ、
そして出来ない事と出来る事をみきわめる能力を与えたまえ!
(ドイツ軍本部に書いてあった言葉)
378 、私は目がよくみえた時にはよくつまずいたものだ(リア王―シェークスピア)
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08月23日(土)
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