ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2539, 閑話小題
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、
可笑しく見えてくる。無いものを在ると思っているのですから。
思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところが
まるっきし変わってくる。やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。
なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。
人は、「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。
「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。
なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。
じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。
ないものを怖がって生きるなんて、何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。
死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは
「ない」のだから、それなら、死ななくたって同じじゃないか。
あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする?
行きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って
生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると思っているこの「生きている」
ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に
浮かぶ一点という、小さな球状のイメージである。
それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。
−−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2
才八∋ウ_〆(∀`●) ー 読書日記
ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。
思ったままそのまま、大学ノート3ページに何の起承転結など制約せずに書く。
だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。
ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。
寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。
作文とさえいえない代物でよい。
ただ手を動かして、心に浮かんでくる、愚かなこと、奇妙なこと、
何でも、どんなことでもかまわないから、そのまま書き続ける。
書き始めの八週間は、それを読み返さないほうが良い。
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