ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396403hit]

■2498, 無くてはならぬもの −6
    砂時計の落ちていく細い部分を「今・現在」という例えがあるが、
    それはあくまでも砂時計でしかない。

 時間に関しては、「哲学はこんなふうに」(スポンヴィル)の中の
   『第10章 時間』で次のように述べている。
 ==
・・・抵抗も創造も行動も、現在においてしかー現在のほかには何もないのだからー
なされえず、現在の後にはまた別の現在が続くだけである。
ストア哲学者が言うように、いまに生きることは夢想でも理想でもユートピアでもない。
これこそが、生きるということのきわめて簡単であると同時に、
はなはだ厄介な真理なのだ。永遠はどうなるのか?アウグスティヌスが考えたように、
永遠とは「永遠の今日」のことであるなら、明日のために永遠を待つのは無意味になる。
これも、アウグスティヌスの言葉だが、
永遠とは「永遠の現在」のことであるなら、それは現在そのものであるだろう。
なにしろ実際、つねに現在であり、つねに顕在的であり、常に活動していることこそが、
時間の真理なのだから。

    スピノザは「エチカ」の中でこう述べていた。
   「我々は自分たちは永遠であると感じ、体験している」。これは、我々が
    死なないという意味でも、我々が時間の中にいないという意味でもない。
    これが言わんとしていることは、死は我々から何一つ奪い去るものではなく
   (死んだ我々から奪い取るのは、存在していない未来だけなのだから)、
    時間も我々から何一つ奪い去るものではなく(現在がすべてなのだから)、
    最後に永遠を希望するのはばかげているー我々はすでにそこにいるのだからー
    ということである。ウィゲンシュタインが彼なりの言い方でこう言っている。
   「もし永遠ということで、終わりなき持続でなく無時間を考えるなら、
    現在を生きるもの永遠の生を持っていることになるだろう」。
    そうであるならば、我々は全員いつでも永遠の生をもっており、
    すでに救われているのだ。・・・
   ==

少し難しそうな話だが、常に現在しかないし、現在考えている過去も、
未来も、それを現在考えているという意味で現在に含まれる。
永遠とは「永遠の現在」のことで、その永遠は常にその時点の現在の中にこそある、
ということ。この辺りが時間を考える意味で一番面白いところである。
いま・ここを、さらに次回に抜粋をしながら考えてみる。
               b(^o^)ノ バイ!

・・・・・・・・
 2006年02月05日(日)
1769, 閑話小題
   ー エ!まさかー

先月の末の話になるが、長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に
別枠で大きく取り扱われていた。
店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが翌日になって発見されたとか。
     戦前(この言葉も古いが)から七十数年も続いた店で、
     両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。
     タンシチュウや、エビフライなど独特の味付けだった。
     昨年の暮れ、家内とその店の向かったが途中で吹雪いたため、
     駅前の居酒屋に入ってしまった。
一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、
自?という。4~5軒まわった店では全員がそのことをしっていた。
いま殿町では、その話でモチッキリという。
どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。

     有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、
     実は自?だったとか、あの店も、その店の誰かも、
     実をいうと??で・・・、そのほとんどが借金苦だったという。
     これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。
              
・・・・・・・
2005年02月05日(土)
1404, 立花隆の旅について

この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。
深い人間洞察を何気なく言ってのける。

[5]続きを読む

02月05日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る