ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2454, 「ブログ」について
    このことが「私の生きるの値する」論拠である。
                まあまあ、お茶どうぞ -^)_且~~~
まあ、そんな難しいことを言わないでも、
「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、
こんなもの!生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。
生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、
上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、
人生の価値など考えなければ、それで最高ではないか!」でよいものを。

 そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、
   「人生で元とった?」と近くの遊び人だった不動産屋の親父
   (10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。
    よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~
    「とったとった十二分にとった!」という返事。

同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃したところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。
「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う!
しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を考える時に
深い問いになりまいか。人生の元をとったか?はー充分人生を生きたか?と同じ。

    ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しないという嫌世家だが、
    その慰めは芸術で一時期でも紛らわせることができるとした。
    このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。
    答えなどある訳がないのも解っている。
    しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。

    しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて
   「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、
    あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、真実どう思うだろうか?
   「    」しかないだろう、実際に!
                       ( ^3)〜♪
生きる価値があるかって?
「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!
クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」というのが、私の現在の答えである。
《本当か?本当にそんなことが、いえるのか?》 (-"-;)
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、
心の奥の声が聞こえてくるが。         Ψ(`∀´)Ψケッ!
             ほんじゃ、ばいばい! o(^-'o)♪☆(o^-^)o〜♪
・・・・・・・・
2005年12月23日(金)
1725.一年経てば全て過去     
      オハヨウゴザイマス o┐

「一年経てば、すべて過去」
 どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。
    感情面を入れると、実際のところは三年であるが。
    (一世一代?の失恋とか、連れ添いを亡くした場合の治癒期間は三年)

    去年から、10年日記に心情を書いているが、
     前年の分が上段に書いてあるので、嫌でも目に入る。
     それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。
     嫌なことを忘れるのが上手い方だが、
     それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。
    〔一年経ったからこそいえることだろうが〕

   反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。
   年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。
  殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。

自分の存在は過去の総合である。
数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。

 しかし人間は過去の総合態〔体〕である。
 記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。
 過去も未来も、言葉でしかないのだろうか?
  ( ゜Д゜)⊃旦

12月23日(日)
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