ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2410, 「あたりまえ」ということ
     一言「驚け!」です。驚くしかない、驚けばそこから必ず考え始める。
     なぜなら、知りたいからです。アリストレスも最初から言っている。
     哲学は驚きから始まるうる、と。驚きの無いところから、
     知りたいという動きは始まらない。考えることで、誤解されていることは、
     何かを悩むことだと思われているが、これは正反対のことです。
     考えることは、決して悩むことではありません。
     きちっと考えてないので、ぐずぐず悩むのです。

 そもそも考えることの始まりは、自分があることや生命の不思議を知りたい
 ということであって、それをどうこうしたいということではありません。
 考えてわかったところで何も変わりません。
 自分が生きて死ぬことも、自分が自分であることも何も変わっていません。
 だから考えてどうなるかと言われても、どうにもならないということです。
 けれども、ひとつ決定的に違うことがあります。
    
      {自分が生きて死ぬということがどういうことか、
     ということがハッキリ自覚できるということです。
     この日常の不思議さを自覚しながら生きるということは、納得と確信を
     手に入れることができるのです。そうすると、生きる姿勢が全く変わります。
     当たり前の日常を自覚的に生きるのとそうでないのとでは、
     全く構えが逆になります。つまり、強く生きられる。そのことが、
     考えて何の得になるのかと問われれば、あえて得の部分だという答えです
     無用の用という言い方における、用ですね。}
   ーー
「考えるとはどういうことか 」の抜粋は次回も続くが、
  字数の関係上、まずは以上のことから考察してみよう
「日常の当たり前のこと、すなわち生死など人生のことや、
 宇宙の不思議さを自覚しながら生きると、納得と確信を手に入れることができる。
 そうすると生きる姿勢が変わり、構えが変わってくる。
 決して、考えることは無用の用ではない」という論は説得力がある。
「よく考えることは、よく生きることと同じである」のは、
 よく考えるということは、人生の構えー姿勢が変わってくるということになる。
 先日、ネアンデルタール人と、クロマニョン人の混血人の骨が発見されたという
 ニュースの中に、なぜクロマニョン人が取って代わったかのか?という疑問に、
 言葉系ー考えが上だったという研究結果だった、とあった。
                      \(^▽^*)バイ!
 ・・・・・・・・
 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
   ー「メタモルフォーゼ」ー A
     <意識の変容>

 一万年続いていた農耕社会の重心が、
工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、
狩猟社会の本能が再び目覚めようとしている?のか。
北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、
農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、
死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な
関係を基本とする小グループを形づくってきた。

カナダ北西部の北極圏地域に住むインディアン狩猟民について、
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、
さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。

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11月08日(木)
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