ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2390, インターネット社会の凄み
聞かされて育った女性が、それが「超越確実言明」になってしまえば、
気が強くなってしまうのも当然である。代々婿取の家系での長女で、
A型で、ごうの虎年生まれで、男子高校を卒業で、中途半端な短大卒で、
両親にタップリ愛情を注がれて育った、ときた分には、
亭主としてたまったものでない。
誰の話??、何の話?? 強固の《私》の基盤の人の実例の話です。
−−−
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味−A
*「共振」のエネルギー −
私たちにとって<他者>とは、私たちが<出会い>を経験したすべての人たちです。
私たちが出会い、その存在を知りえた相手は、それがたとえ直接には顔を
見たことのない人であっても、既に亡くなっている人であれ、「私」にとっての
<他者>であり、この「私」の存在を引き受ける者となりえます。
出会いのあるところ、多かれ少なかれ、必ず共振が発生します。
そして、それによって《私》にエネルギーが与えられます。
このエネルギーは、消費されない時は、「私」の内部に滞留し、
消費された時には、「外部への振動」となってあらわれます。
人は、生きている限り、共振しつづける存在です。
*「私」が《私》となる瞬間 −
初めて母親の声を聞いたとき、
「私」が個体としてこの世界に生まれてきて初めて「私」=《私》は
「私は私が母の声を聞いたことを知っている」という
「超越確実言明」を行います。
これは、言明の正しさの基礎となる「超越確実言明」
のうちで最初に発生するのが、「私が存在する」ではなく、
「ある他者が存在する」であることを意味しています。
そしてこのとき同時に、《私》の存在の基盤が与えられます。
それは、「私」が《私》になる瞬間です。
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」です。
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって
《私》となり、最初の「超越確実言明」を行うということです。
「超越確実言明」の強度は、論理的な正しさによるものではなく、
「《私》の存在」の強度に支えられています。そして「《私》の存在」
の強度は「<他者>による引き受け」によってその力を増していきます。
頑健な「超越確実言明」の上には、堅牢な「論理」を構築することができます。
そのようなとき、その論理によって構築される<言葉><価値><物語><世界>は、
頑強な「個別の正しさ」を持つことになります。
*弱い「超越確実性言明」−
逆に、<他者>によって「厚く引き受けられない」とき、
「《私》の存在」は強度を弱め、「超越確実言明」も弱いものと
なっていきます。そうすると「超越確実言明」を基盤として、
その上に<価値>や物語>をつくり上げることが難しくなってしまいます。
前に書いた、「仮面」を思い出してみてください。仮面と、その下の顔の関係です。
「仮面」が役割であり、「その下の顔」が「私は〜である」という形式の「超越確実言明」です。
芝居を上手く演じるには、ある程度その「舞台」、つまりは<世界>に
没入しないと上手くいきません。「没入できる」ということは「戻ることができる」
ということが前提です。それは、「私が〜である」という「超越確実言明」に
しっかり支えられている状態であれば、役割から降りることもできるし、
役割に没入しても、「仮面の下の私」を無くしたりしません。
ーーー
仮面を見極め、仮面を演じる、これを趣味にするのも
面白いだろうが、傍から見れば下手な三文役者の姿がみえみえである。
「超越確実言明」がしっかりして、役を演じているのが、あの代議士たち。
ちゃうちゃう、絶対違います!と、天の声が聞こえてくるが!
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10月19日(金)
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