ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2370, 喫茶店の話
人間みな既知外と思って見れば、これほど世の中を理解しやすいものはない。
「世の中みな素晴らしい人ばかりで、それに比べ自分は!」
というのは躁鬱の欝の最たる状態で、一種の既知外一歩手前。
私など飲み屋を2〜3軒飲んで回れば立派な既知外である。
一番性質の悪い奴は、自分が一番まともな人間と信じている人。
そう信じているから、既知外の異常性が見えるのだろう。
それでいて、それがゆえに一番の既知外になり下がっている奴。
地方名士と議員先生に多いときているから始末が悪い・・・・
皆が 基地(機知・既知 吉)外と視点でみると、これほど面白い人間研究はない!
特に多いのが、色キチガイ! それと酒乱か・・・
(*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年09月29日(木)
1640, 個性について
日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
−−−
ー今西
個性というのはどこにあります?
「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野
「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、
それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと通じないようにしている。
一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、
現実化しているかによって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。
より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深いところから
汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。
貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西
個性が浅いということですね。
ー日野
そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。
「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」をより広く深く生かしている個性と、
浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで
達するかというとことで、先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが
私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
別社会が何も外にある別社会だけじゃないですね。
自分の中にある別社会でもある。それは山に行くことで、日常から離れられて、
非日常の次元で直感がさえる、はたらくということでしょう。
ーーー
20年前に、中曽根内閣が臨時教育審議会で、従来の「自由化」に代わり、「個性化」
を打ち出した。それまでの画一的な詰め込み教育・偏差教育からのゆり戻しであった。
個性を育てれば、受験勉強一辺倒の価値観が変わり、登校拒否や校内暴力がなくなり、
国際的にみても変形の日本人的な歪みがなくなるはずだった。
個性個性と言っているうちに、この教育により基本的な秩序さえも無くしてしまった。
中高生の援助交際を初めとして、フリーターの蔓延など程度の劣化が表面してきた。
「自己」の中の潜在している能力の、ある部分を、意識化し、現実化することによって、
それぞれの個性が出てくるもの。
より深く「自己」を生かして、自分の井戸の深いところから汲み上げたのが個性である。
個性とは、まず教養や常識を備えるプロセスで、自分の中の特性を見出すものであり、
それ以前の子供から個性を出せるようにというのは本末転倒である。
没個性の中の少し変わった違いを「個性」と思い込んでいる駅などの屯している
芋姉ちゃんのレベルのことでしかない。
昨夜、TVで教育現場の興廃の実態を先生の立場でレポートしていた。
あの現場の惨状は、ゆとり教育ー個性化教育の失敗の現象でしかない。
数年前から、あの失敗例としての年代が社会に出はじめているが、一部を除けば酷い。
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09月29日(土)
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