ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2348.ベナレス・・・4
    天皇制を緩める意味で、女系天皇とその子供の天皇継承を認めるのもよい。
    しかし紀子妃の男子出産で、次の次の天皇は紀子妃の男児に継承される
    可能性が大になった。

そうすると、次の天皇を皇太子が辞退ということもあり得る。
雅子様もそれでノイローゼが軽くなるだろうが、
その判断は皇太子本人の意思?になる。
こういう直後に、意外と雅子妃の懐妊があるもの。
どうなるか、時間が経たないと解らないが・・・
雅子妃もホッとしているのは、間違いないだろう・・・

ー関敬六という喜劇俳優が亡くなったー
関敬六といえば、TVが出始めの頃から脱線トリオの一員として、
由利徹、八波むとし、南利明等とトリオを組んで茶の間を笑いに包んでいた。
また谷幹一と渥美清と三人のコントを今でも思い出す。
何とも人間味溢れた役者であった。

    新聞に、その彼の訃報が出ていた。
    男はつらいよにも、端役としてテキヤ仲間としてでいていた。
    これで渥美清も含めて、全て亡くなったことになる。
    一つの時代の終わりを告げているのだろう。

             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!        
・・・・・・・   
2005年09月07日(水)
1618, 楽しく生きるー3

「楽しく生きる」にも、色いろある。
「ドラックをやって、目先の快楽を追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、
いう意味で言っているのではない。
目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。
何ごともバランスである。

前回書いた「楽しく生きる」精神科医・高橋和巳著の一部を
さらに書き写してみる。

ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。
すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。
その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。
欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した
「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。
 意識は動かない 「静」で、
 欲求は動きまわる「動」である。

楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを
忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、
        「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。


ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている
「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、
私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、
私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて
本来の自分に出会うことが、「もう1人の自分に出会う」ことである。
あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。

人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。

ーー

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09月07日(金)
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