ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2343, ポスト・モダン主義とは
この世界は、「よい」もののか「悪い」のか、もしくは「よい方向に向っているのか」
「破滅へと向っているのか」ということについてさえ、大方の合意が得られない
という状況を「ポストモダニティ(ボストモダン状況ごと呼ぴます。
端的に言うならば、「幸福とは何か」「よいとは何か」についての、
「共通の土台」を想定することができなくなった状態のことです。
そのような状況の中でも、人は、個別に物語を作り、その物語を生きていかなくては
なりません。それは、とてもたいへんな作業であり、多くの人間が、
その作業に困難を感じ、ある者たちは「物語の構築」を諦めてしまったりしています。

ポストモダニズムの表現制作物を、ここでは「ポストモダンX」と呼ぶことにします。
ポストモダン文学とか、ポストモダンアートとか、ポストモダンミュージックとか、
ポストモダン建築が、それに該当します。
それらの「ポストモダンX」が提出される「目的」は、一致しています。
その使用者・鑑賞者・受信者の内部に、「物語」を発生させることです。
もちろんその「物語」は、予定調和的にあらかじめ想定されている筋を持つものではなく、
「個人が、自分で紡ぐ物語」でなくてはなりません。
したがって、「ポストモダンX」は、「物語の強制」をひどく嫌います。
「表面」をくすぐったり、ひっかいたり、ねったりすることによって、
鑑賞者(受信者)に何らかの刺激をあたえ、それをきっかけとして
「鑑賞者が自分の物語を構築するア一と」を期待するというわけです。
ポストモダンXは、大きく二段階の変遷を遂げています。
初期においては「内在する疑問形」でした。それはたとえば、
「人が生きるとは何であるか」とか「美とは何であるか」とか
「人生の価値とは何であるか」とかという疑問を「投げかける」という
形式をとっていました。
ーーー
 面白い時代である。ただし、それぞれが自分で考え、決断しなければ
ならない厳しさを要求されるのである。それぞれが自由を見出し、
そこに価値=意味をつくらなければならない。
                
       (○´ω`○)ノ**SeeYou Again! dato  
・・・・・・・・・
2006年09月02日(土)
1978, クルマが売れない!
        Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
        
ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。
景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。
車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。

    これまでの車は30年から40年前までの時計みたいなもの。
    ロンジンとか、ローレックスとか、持っているだけで偉そうな錯覚をさせる
    イメージを加えて売っていた。ステータスシンボルの要素が大きかった。
    ところが現在は、どんなよい車に乗っていても何の価値も感じなくなった。
    むしろ頭の軽さが目立つだけだ。
    この情報化でモノ、コトへの価値が見え始めてきたのだ。

7月の新車販売台数が(軽自動車を除いて)13ヶ月連続で前年実績を下回ったという。
軽自動車を除くと、13ヶ月も前年を下回ったのは1968年以来という。
(軽自動車を含めると4ヶ月連続の下落)
あれだけ騒がれて登場したトヨタのセルシオの国内販売が、
当初予定していた計画を遥かに下回ったという。

    この背景には日用品化した以外に、消費の多様化がある。
    車に振り向けられた消費者のお金が、デジタル携帯音楽プレーヤーや、
    薄型TVなどの家電製品や、携帯電話の通話料に向けられているためだ。
    確実に消費者の欲しいものの中の、順位が下がっている。

かって本田宗一郎が「ライバルは同業者だけではない!」
といって言葉が、さらにシビアに聞こえてくる。
車購入の中心だった団塊の世代の、車への興味も確実に下がってきている。
年功序列の賃金制度がホボ崩壊し、「いつかはクラウン」という購入パターンは

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09月02日(日)
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