ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2202, 自殺について −1
それまでだが、戦争もある意味では集団自殺ともいえる。
いや集団殺戮の方が正しいか?
   
    《私》にとっての「超越確実言明」を守るために死ぬことも、
    時にとって必要なのかも知れない。
    人間の最後に残された自由へのジャンプとしての自殺もある。

自殺にも正しい自殺と、正しくない自殺があるという。
自分であるために死ぬ、それもイスラエルのマサダの砦の集団自殺のように、
自殺厳禁のユダヤ教徒の自殺なのだから意味も深い。
この場合の自殺を正しくないとは言い切れるだろうか。

    誰の目にも明らかな自殺に「子供の道づれ心中」がある。
    子供を自分の所有物と思いこんでいるから、こういう暴挙にでるのだ。
    自殺をするには、それなりの理由があるが、やはり
   「自殺は決して許されるものではない!」のは、道理である。
    それが永遠の自由のためにといっても!

・・・・・・・・
2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える−2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記

読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。
彼らは自分達のありのままの姿を直視し、それを改善しようとする気概があった。
この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。
改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
   ーリーダーの本質についてー

    イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。
    「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
     知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。
     それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
    著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。

 日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、実行力、判断力、
 ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。
「経営者の決断力」などが課題になること自体が問題であると看破。
 決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、
 リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて当然のこと。
 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、
 その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
 生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。

 古くからローマの歴史を演繹することによって、有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、
 又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
 現代においても、ローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にも
 なる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。

 巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、
 皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙アチチ!

 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
     腐敗堕落した元老院政治打破を叫んで立ち上がったユリウス・カエサル
    (ジュリアス・シーザー)は紀元前49年1月29日早朝、
    「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡った。
     ルビコン川はローマ本国と北イタリア属州との国境。
     川岸に立った武将カエサルも幕僚も配下第13軍団兵士も身動き一つしなかった。
     川幅は狭く渡るのは容易だ。 しかしこの川を渡るには勇気と決断が必要だった。
     ルビコンを越え、本国に軍団を率いて入ることは「祖国への反逆」を意味していた。
    クーデターと見なされ追討軍を差し向けられローマ人同士の内戦になる。
    「ここを越えれば人間世界の悲惨さが待っている。

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04月14日(土)
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