ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2180, 14歳の君へ −2
ということこそ、自分で考えて知らなければならない問いだ。
「知る」ということが、自分が賢くなって、賢い人生を生きるために知ることで
なければ、知るなんてことに、いったい何の意味があるのだろう。
人類には「学問」という仕事の分野がある。その歴史はとても古くて、
ある意味では「有史」ということ自体がその始まりだといっていい。
人間が動物から分かれて、「知性」」つまり「知る、知ろうとする性質」
を持ったときから、それは始まっていたということだ。
人間は、いつも知りたかったんだ。世界とは何か、宇宙とは何か、
そこで自分が生きて死ぬとはどういうことなのか。
学問をするということは、いつも知りたくて考えてきた人間の知性の営み、
その長い歴史的営みに参加することなのだ。これは魅力的だと思わないか。
過去のどんな立派な人が残した仕事も、自分と同じように知りたかった
人間がしていた仕事だと思うと、何だかいとおしく懐かしいような感じに
なるはずである。
学問よりもスポーツや芸術の方に興味を持つのもよい。
自分の好きな道を行くがいい。
でもどの道を行くにしても、それを本当に「知る」ためには、
自分で考えて自分のものにすること、それは同じだとわかるよね。
ーーー
解) 14歳の子供に説教するのだから、わかりやすく、かつ
面白くなければならない。それも勉学の必要性を砕いて説かないのだから、
哲学者の真骨頂になる部分である。
このような情報化の時代であるからこそ、「知性」が問題になるのである。
問を持ち、答えを求める姿勢こそ、学問から得る最大の習性である。
それが知性となり、教養となっていく。
「知るということは、賢い人生を生きるため」と、言われてみて、
果たして私の人生は賢い人生だったのだろうか?と、問い直してみると、
反省すること大である。
もちろん、私は賢い人生を過ごしてきましたと思ったとしたら、
間違いなくバカの人生を過ごしてきた!という逆になってしまう。
「まあ、いいか!こんなものか!」と、独りブツブツ言うしかないか!
賢いとは、いま思いつく解釈は、
「ものごとの本質を、一瞬で読み取る感覚、能力」
「感動、感激をする能力のある人」である。それと、
「主体性のある人」である。
¥(*^_^*)\ バイバイ
・・・・・・・・
2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見
ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の
「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
ーまずは、その内容を紹介してみるー
今週、所用で何年ぶりか、出雲空港に降り立った。
さらに、JR山陰線の特急<スーパーおき>に乗り、日本海沿いを大田、浜田、
益田と西に走る。海岸線が目に心地よく、飽きない。
ところで、17年前、この出雲市の市長に、いまは民主党衆院議員の岩國哲人が就き、
アイデア行政で話題をまいた。突然市長を辞め、東京都知事選に出馬したこともある。
永田町ではあまり知られていないが、岩國は名物コラム
<一月三舟(いちげつさんしゅう)>の執筆者だ。
タイトルは仏教語で、一つの月も見上げる舟によって異なる、という教えである。
郷里の「日本海新聞」に毎週1回、400字詰めで約7枚、
書き続けて10年目に入った。多忙な政務のかたわら、容易にできることではない。
1月9日付は、<魏(ぎ)の国、偽(ぎ)の国>という題である。
出雲市の友好都市、漢中市は中国史で名高い魏・蜀・呉の三国時代の舞台になったところ。
3世紀の日本の政情、風俗などを記した文献「魏志倭人(ぎしわじん)伝」の縁もある。
ところが、同じギでも、最近の日本は<偽の国>に迷いこんでいる、と岩國は嘆く。
過去1年を振り返っても、数多くの<偽>の字がマスコミ報道をにぎわした−−。
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03月23日(金)
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