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堀井On-Line
by horii86
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■2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで
達するかというとことで、先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが
私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
別社会が何も外にある別社会だけじゃないですね。
自分の中にある別社会でもある。それは山に行くことで、日常から離れられて、
非日常の次元で直感がさえる、はたらくということでしょう。
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20年前に、中曽根内閣が臨時教育審議会で、
従来の「自由化」に代わり、「個性化」を打ち出した。
それは、それまでの画一的な詰め込み教育・偏差教育からのゆり戻しであった。
個性を育てれば、受験勉強一辺倒の価値観が変わり、登校拒否や校内暴力がなくなり、
国際的にみても変形の日本人的な歪みがなくなるはずだった。
そして、個性個性と言っているうちに、この教育により基本的な秩序さえも無くしてしまった。
中高生の援助交際を初めとして、フリーターの蔓延など程度の劣化が表面してきた。
「自己」の中の潜在している能力の、ある部分を、意識化し、現実化することによって、
それぞれの個性が出てくるもの。
より深く「自己」を生かして、自分の井戸の深いところから汲み上げたのが個性である。
個性とは、まず教養や常識を備えるプロセスで、自分の中の特性を見出すものであり、
それ以前の子供から個性を出せるようにというのは本末転倒である。
没個性の中の少し変わった違いを「個性」と思い込んでいる駅などの屯している
芋姉ちゃんのレベルのことでしかない。
昨夜、TVで教育現場の興廃の実態を先生の立場でレポートしていた。
あの現場の惨状は、ゆとり教育ー個性化教育の失敗の現象でしかない。
数年前から、あの失敗例としての年代が社会に出はじめているが、一部を除けば酷い。
これから20年近くにわたって、その教育の結果育った若者達が社会に出てくる。
日本の将来は、やはり悲観的に見るしかない。
家庭も、学校も基礎知識を教えられないのだから。
個性教育が、肥大化した自我育成になり、自分の中の可能性に対して
全く知らないで青春期を通り過ごしてしまう。
個性など、そう簡単につくれるものではない。
一生かけて、数代かけた血筋から生まれてくるものだ。
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2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー
ハワイが意外とよいのだ。
何が今さらという感があるが。
あまりにもハワイ・ハワイといっているので、そこの良さを
あまり誰も言わない。
オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。
観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。
行くまでは、私もそう思っていた。
しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけでも
思わない自然の宝庫が多くある。
ハワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。
火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。
波が荒く、サーファーが波乗りをしているのがロケーションにピッタシなのだ。
ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。
高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が安いのは
皮肉といえば皮肉である。
日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。
今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。
実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、
社員の半分近くの総員27名で行くことになった。
これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。
どこに行ってもバス一台貸切である。
その時の添乗員が、後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。
彼とは今でも付き合いがある。
これで面白くないわけが無い、6日間の祭り騒ぎの旅行になった。
これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。
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09月29日(金)
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