ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[397438hit]

■1959, 人生を物語るとは? −1
  混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、
  ドロ(成功・失敗・挫折・幸福)を抜き出していく作業である。
  成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、
  二次的なものでしかない!

                       つづく
  ・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・
  
 2005年08月14日(日)
1594, 犬の散歩

毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。
行き会う人の半数近い。
何時も思うのは、犬と飼い主が似ていることである。
特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくりである。
顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。

以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、
時代時代に犬の流行があるようだ。
ハスキーが多い時期があったり、
ラブラトール・リトリーバーやゴールデン・リトリーバーだったり、
最近はポメラニアンやミニチュア・ダックスフンドなどの小型卓上犬が目立つ。

実家では、必ず犬を飼っていた。
そして、それぞれの犬の思い出が多くある。
まぎれこんだり、拾ってきた犬で、雄雌関係なく「コロ」という名前であった。
しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。
もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが
「犬が飼えなかったこと」である?
といって、いま現在では躊躇する。

そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。
どういうことだろう?恐らく放し飼いが全く無くなって、チャンス?が無いのだろう。

ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、
その口笛が聞きほれるほど上手い。
その三匹の犬、飼い主に似てか?すれ違う犬に大きく吠え掛かる。
口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。

ところであるベストエッセイ集に
「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。
そしてプロの文章はすばらしい。
 
 最後の文章を抜粋してみる。
 −−
 ー犬に似る
 ・・・・・・・・。 
 ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。
ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、
短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。

 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。
しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、
目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。
猫やカラスを追いかけるとすぐに息を切らす。
息を切らすと、はあはあと長く舌を出し、腹を大きく波打たせる。
どったと寝転がっていることも多い。

 そのそらのようすは私にそっくりらしい。いや、私がそらに近づいたのだろう。
先日、家の前を通っている二人連れの会話が聞こえた。
「ここの犬、この家のご主人とそっくりよ。毛の色も一緒だし、体格もうりふたつ」
「へえ、じゃ、どっちが犬かわからないわね」
 私は思わず吠えそうになった。
               (坪内稔典 俳人)

最後の一文がきまっている。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2004年08月14日(土)
1229, 死亡欄

この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。
それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。

傾向として40歳台から死ぬ人がおおくなる。
反面90歳後半や100歳という人も結構多い。
時々、子供や20歳そこそこの死亡も目に付く。

やはり女性は80歳台、男性は70歳台が多い。
それぞれ一行の名前と年齢の中に、膨大の人生が詰まっていると思うと
人生の深さを感じる。

中学や高校の同級生では、大よそ15lが亡くなっている。
特に、50歳を過ぎてから多くなってきている。
そういう年齢になってきたのだ。

同級生のある葬式で、
「もう、死んでも何で死んだと言わなくなったものな〜」というコトバが
印象的であった。


[5]続きを読む

08月14日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る