ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1913, くちなしの花
「遺稿 くちなしの花」の後に、恋人たちの本当の逢瀬があったからである。
日記からも読みとれるが、八重子の方からの積極的な求愛を前に、
徳光は父親に結婚の許しを得ようとする。
だが重要なのはそうした形式ではないことを彼は悟るのだと思う。
恋人たちの一方の死が約束されている。
だがその死の前に、残された時間がある。
日記のなかで逡巡していた徳光は、やがて仲間の話によれば
《私室で仲間と飲んで酔っぱらうと、胸から》恋人の写真を取り出して、
「俺の女房の津村八重子でーす」と見せびらかすまでになる。
男尊女卑的な風土で生きる父親と彼によく仕えた母親のもとで育ち、
そうした家風に染まった眼で女性を見ていた時期
(学生時代の日記には、それがある)を経て、八人も子供を生んで育てた母親が
過労から亡くなって、彼には何かが分かるようになる。
そんな彼の前に現れたのが、積極的な八重子だった。
この二人の逢瀬には、将校の特権が大きく作用しただろう。
この時代には互いにその気持ちがありながら、会うことも叶わずにいた
恋人たちが多くいたはずである。
■宅嶋徳光『くちなしの花』
(光人社・1995/大光社・1967)
(。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年06月29日(水)
1548, 私の酒中日記−11
金沢−7
1972年7月20日
明日で、金沢を去る。
一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。
片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。
「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、
昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。
二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。
ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。
夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。
金沢で初めて食したが、良い思いでになった。
その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。
同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。
金沢の夜も今日で最終になった。
一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。
気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、
そと者の社員は人間扱いはされない。
金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。
背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。
対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。
比べること自体が問題であるが。
幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、
今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。
金沢に住んで、このことがよくわかった。
長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。
金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。
日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。
また、男は今でも自分のことを「わし」という。
相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。
箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。
とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。
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06月29日(木)
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