ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1891, 村上ファンド崩壊の衝撃−2
 ファンドの拠点を移したシンガポールから急きょ帰国した翌日の1日、
村上代表と電話で話した。
捜査の進展がメディアで伝えられていた。

 「大丈夫なのか」
 「問題はない」
 いつも通りの自信満々の口調だった。

 阪神株問題で世論からたたかれている時にも
「このままではイメージが悪すぎる」と苦言を呈したが、反論された。

 「投資家と社員だけ守る」
 「悪者でいいんだ。徹底的にヒール(悪役)になってやるんだ」

 今年2月初め。
 村上代表は、証券取引法違反容疑で摘発されたライブドアについて、
講演会でこう批判した。
 「コンプライアンス(法令順守)がこれほど欠けた企業がこの国にあったのか」

 ニッポン放送株争奪をめぐって、
「二人三脚」で市場のひのき舞台に躍り出た2人。
しかし、その陰で村上代表が犯した「裏切り」が、自らを追い詰めることになる。

 兵庫県にある名門灘高校を卒業する際、村上代表は文集にこう書いた。
 「何となく給料をもらい静かに死んでいくような人間ではない」
 そして、こう締めくくっている。
 「必ずどでかい事を一発やってみせましょう。
 一発屋の人生を豪快に咲かすのです」


 9歳の時、父から手渡された100万円で始めた株取引
その運用額が4000億円にまで膨れあがったところで、幕引きを迫られた。

・・・・・・・
・・・・・・・

2005年06月07日(火)
1526, ディープ・フロート判明

あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が
米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。
情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていた
FBI副長官であったとは。

外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、
当のニクソンを失脚をさせたことになる。
後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、
実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補だった。
このような因果関係から、フェルト氏が情報提供に協力する背景にあったのだ。

彼はFBI退職から6年後の1979年に
著書「FBIピラミッドの内部」を発表し、
その中では「ディープスロート」ではないと否定していた。
たった一人の怨念が世界を揺るがす大事件になったのだ。
非常に興味が持たれた真相も、この程度のことであった。

ミステリーのままの方が良かったのだろう。
彼の名前も挙がっていたが、キッシンジャーやブッシュ大統領の父親の名前も
挙がっていた。

それにしても、フェルト氏も命がけであったと同時に、
ニクソンが窮地に立たされていくのをみていて快感であっただろう。

ー以下は、あるHPからコピーしたニュースの内容であるー

ウォーターゲート事件の
ディープ・スロートが 全米に反響をよんでいる。

「ワシントンで最も厳しく守られてきた秘密が、ついに暴露された」
(ニューヨーク・タイムズ紙)。
ニクソン元大統領を失脚させたウォーターゲート事件(72年)で、
米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏(91)が、
ワシントン・ポスト紙の「ディープ・スロート」と呼ばれた極秘情報源だと
5月31日判明した。
米政界、メディアの間で30年以上も「最大の謎」だった。
全米のメディアは特集記事や番組で大きく報道した。

 ウォーターゲート事件と、ポスト紙の独壇場となった調査報道は、
米社会やメディアのあり方に大きな影響を与えた。
「大統領の犯罪」を追及するポスト紙を、政権内部の情報源が継続的に
支援していたことは当時から明らかだった。
「所属組織に弓を引く裏切り者」ととらえる向きが強かった
「ウィッスル・ブロウワー(警笛を吹く者の意味で内部告発者を指す)」が、
肯定的に評価される契機にもなった。

 ニクソン政権による政敵の盗聴やFBIやCIAなどの操作・情報機関の

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06月07日(水)
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