ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1877, 「ノート術」本当の極意 −2
他人の視線が気にならないのは、ある意味でとても「おさまり」のいい日。
でもその「おさまり」こそ、言ってみれば「地味」の正体。
人目を煩わせずに、ひっそりとしていれば心身ともに疲れない。
だから気がつくと「地味」の中にぬくぬくとうずもれてしまいがち。
危険なのは、そこである。
「地味」はやがて体の中までしみ込んで細胞代謝を低下させ、
女性がもっているべき艶まで失わせてしまう。
ーー
・自分をキレイに扱う
仮に美人でなくても美しく見える人は、なぜそう見えるのか?
逆に美人なのに美しく見えない人は、なぜそう見えないのか?
美人か否かの分かれ道はいろいろだが、ひとつだけ決定的なことを言うなら、
自分自身が自分を「美しいもの」として扱っているかどうか、
それで女は決まると思う。
ーー
・見せる顔、
見せない顔
女の美貌はある意味「体力」に似ていて、
人知れずどこかできっちり鍛えておかないと基礎体力はついていかない。
素顔の美しさにも、同様のトレーニングが必要だと思う。
女は二つの顔を両方とも鍛えないとだめ。
「一人に見せるための顔」だけ必死につくっていては成長はない。
「人に見せない顔」で自信を得てこそ、見せる顔も光りだす。
ーー
・ブス
安心が女をブスにする。
ーー
・流行力
女にとって流行は、老けないためのストッパー。
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・ブランドはプライド
女にとって「いかに生きるべきか?」と
「次にどのブランドの何を買うか?」は、
下手をすると同じくらいの重さを持ったりする。
たぶんブランドは、プライドだから。
少し自信が足りない女のプライド・・・。
ーー
・美容の掟
化粧もカーラーもバレたら無意味。
高校生の私は、そこで自分のなかに初めて掟が生まれたのを感じた。
美容はバレちゃいけないのだという・・・
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「こころを凛とする196の言葉」
発行所
ソニー・マガジンズ
著者 斉藤薫
− つづく
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論 」
この本も、なかなか面白い。
情報化時代だからこそ脳が問題になる。
脳こそ、情報器官そのものであり、それがコンピューターと結びつき、さらに
インターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。
自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、
他人が見たらもっと面白いだろう?
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。
「現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」
と著者は書いているが、ある意味で、このホームページもお伽噺なのかもしれない。
ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
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養老孟司著 青土社刊
●はじめに
・現代とは、要するに脳の時代である。
情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。
ヒトの歴史は、自然の世界に対する、脳の世界の浸潤の歴史だった。
それを我々は進歩と呼んだのである。
・自然保護運動が、しばしば理性に反するようにみえるのは、その実態が「自然に帰れ」
運動ではなく、直感的な「反-脳」運動だからであろう。
現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。
・・・・・ お伽噺に異を立てる現実とは、我々を制約するものに他ならない。
それは歴史的には常に自然だったが、いまでは脳になってしまった。
・我々はかつて自然という現実を無視し、脳というお伽噺の世界に住むことにより、
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05月24日(水)
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