ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1664, ウィリアム・ブレイクの詩
まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。
流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。
一番立場の強い会社に入社したため、惨めな目には会わなかったが、
それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。
まあ、それは40歳近くまで続いたが。
研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に
一度東京に帰ってきた2日間のこと。(当時は卒業前の3月1日に仮入社
するところがあった)
悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、神戸の日々のことなど、
その時々の気持ちが書いてあった。
スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる
「男はつらいよ」の寅さんの口上とほぼ同じである。
それより、当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・・?
それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。
何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。
汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、
地獄の底に突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。
もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、当時の記憶の消去を
頑なにしていただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。
まあ誰もが入社したての頃はそうだろうが。
書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。
「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。
魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、
このような日記を読み返すと実感する。
言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。
おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、
禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。
ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。
心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。
今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。
ーーーー
S5709事業百訓
ー1982年7月9日記(社内報)より
何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。
修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、
その後石川県のB社に再就職をし、その後独立したのですが、私がB社を去った3年後、
A社がB社を吸収合併をしてしまった。
別に系列下にあったわけでもなく全くの偶然の一致であった。
私自身修業という事で入ったのですが、戦略・戦術という面での社長の決定的違いを
一兵卒の立場よりケース・スタディという面で、非常に勉強させてもらった。
資金の使い方、人間の使い方、立地戦略、モラル・教養、全くの本質的な違いであった。
その決定的な違いをみると、
(1) 非生産的過大固定投資の失敗
(女子寮マンションの建設及び、時期早尚の配送センターの建設)
(2) 点作戦の失敗(地方都市にありながら、面戦略より点戦略をとり、
結果として、他社よりねらいうちにあい全店舗がいきづまりをみせた。
(3) 人材の育成・成長を持っていなかった。
(教育・マニュアルの不備よりくる)=教育重視の戦略の甘さ。
中途採用者グループ間の派閥争いで“子飼社員”が育つ前に失望退社のパターン。
(4) 長期・中期経営計画のつめの甘さ等である(以下次号)
S5711事業百訓
−1982年11月記
A社は当時地方の一スーパーでありながら、S44頃内部留保数十億もあり
(現在の百五十〜二百億円)非常に内容がよく、市内でカジュアル関係の衣料の
70〜80%近くもおさえていた。
しかし、将来を考え三社対等合併にふみきり、業界のドギモを抜いた。
社長の決断であり、それが現在の業界三位の地位をしめたその出発点である。
企業もその環境にあわや自己脱皮をはかりつづけなければ、その生命もすぐつきてしまう。
その事例としてB社を経験した。
“企業は大きいから強いのではなく、強いから、大きくなる”
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10月23日(日)
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