ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1181, カント ー 哲学についてー11
そしてこの能力を、人間は経験によって獲得したのではなく、先天的に備えている」と
論じた。
これは、天動説を否定して地動説を主張したコペルニクスにちなんで、
「コペルニクス的転換」と呼ばれる。
しかし、自然科学的な認識として人間が知りうるのはあくまでも現象界における経験の
範囲内での自然の因果関係に限られる。
つまり、経験を超えたもの、物自体を認識することはできないのである。
ー「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」
これはカントの墓碑銘にも刻まれたカント哲学を象徴する『実践理性批判』の結びの言葉である。
カントはニュートンの自然科学にも大きな影響を受けており、彼の哲学の目的は科学と道徳の
絶対確実性を見出すことにあった。
・「我が上なる星空」とは、自然法則を象徴し、
・「我が内なる道徳法則」とは、人間の意志の自由と自律の上に築かれるべき人生の法則を
意味している。
カントは生涯をかけて自然界の法則の理論的基礎を築くとともに、
人間一人ひとりの心の法則を追い求めた。
ーカントの
「道徳論」
「人間の尊厳について」
「永久平和のために」
のまとめを、あるホームページからコピーした。
ーーーーーーー
ーカントの道徳論ー
カントは私たちが何かをする時、「同じ状況なら誰もが同じことを望む」と確信できなければ
ならないとした。これは『定言的命令』といわれ、何らかの目的の手段としてではなく、
無条件に人間の心に生じてくる普遍的妥当性をもった命令である。
この反対が『仮言的命令』で条件付きの命令である。カントによればこの命令は目的を
達成するための手段として用いられているにすぎず、動機が不純なので善くないとされる。
人間は理性的存在であると共に、感性的存在である。
感性によって捉えられる現象界に属するものとしては、自然の法則に従わざるを得ないが、
他方、理性界に属するものとしては道徳法則に従って生きるべきである。定言的命令に従うことが、
人間の道徳的、倫理的に正しい生き方であり、また、道徳法則は良心の命令であり、
一切の目的や条件を超えたものである。
人間が道徳法則に従うこととは、具体的には、様々な場面で理性が命じる義務に耳を傾けることで
ある。カントは、道徳法則への尊敬だけを動機としてその命令に従うことを義務と呼んだ。
もし義務が果たせなかったとしても、人間は「果たすべきことを果たせなかった」
という良心の呵責を感じる。
そしてその時、自分はその義務に従うことができた、という自由を自覚する。
カントは「道徳的な振る舞いは、自分の損得を乗り越えた結果、出てくるものでなくてはならない」
としている。
つまり、行動が道徳的に正しいかどうかを決めるのは、行動の結果ではなくて心構えなのである。
道徳律を心に留めて行動している、と自覚している時だけ人間は自由意志でいられるのである。
つまり、人間としてどう いう風に行為すべきか、と真剣に道徳法則に直面して、
初めて自由の存在を知るのだ。
*人間の尊厳*
カントによれば、自律とは自らのたてた道徳法則に自らを従わせることである。
それは、意志のもつ自由という特性によって、行為の主観的な格率(個人の行為を決定する原理)を
普遍的な法則に一致させることに他ならない。
言い換えれば、それは理性の命令であり、義務の声である。
「汝の意志の格率が同時に普遍的立法の原理に妥当し得る様に行為せよ」というのがカントの
説いた最高の道徳法則である。
それ故、自由な意志と道徳法則のもとにある意志とは同じであり、真の自由は自律的自由を意味する。
人間が理性に従って道徳法則を自ら打ち立て、それに対する義務と責任から自律的に行動する
ところに真の人間らしさと自由がある。
カントは、この自律的な自由の主体、神聖な道徳法則の主体としての人間を人格と呼んだ。
そうした人格は人間以外の理性なきものと異なって、常に目的そのものとして絶対的価値を
もつものであり、単なる手段としてのみ扱ってはならないのである。
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06月27日(日)
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