ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1137, 「ライフ・レッスン」−14
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどの
ことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。
20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。
武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。
当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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2002年11月09日(土) 575, つれづれに学生時代のこと ー2
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。
若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいった。
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2002年05月14日(火)
406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件
倒産にもいろいろある。
特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。
実際経験しなくては解らないのが経営である。
早くいえば、実際は博打に似ている。
博打は多くは場数を踏まないと上達しない。
遵って、経営管理と経営は全く別物である。
経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。
そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。
「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、
準備を何処まで周到にできるかにかかっている。
自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、
「500lの成功確立」が、自分の信念の中にあった。
そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。
そして表面を見て「運」と思ってしまう。
ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると
私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。
「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」
何処でも捨てるほど失敗事例がある。
起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。
それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。
もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、
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05月14日(金)
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