ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1124, いま不幸と思っている人へ
・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ
 気がすまないのだ。
      ールナール

・禍福は糾える縄の如し。
      ー老子

ーーーー

ー以前書いた不幸論をコピーする。

2003/01/06
不幸論ー中島義道

図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い内容であった。

幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと考えると、その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたものでないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。

以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。
私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、
一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番良い??

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 2003年05月01日(木)
757, ミスマッチ

 ある大型ショッピングセンターの出入口の横に一月少し前に、
讃岐うどんの専門店が開店した。
開店予告の張り紙を見て、てっきり今流行のセルフの100円の
讃岐うどん店ができるものと思っていた。
実際は380円、480円のプライスラインの讃岐うどん屋であった。
これは絶対にミスマッチの店と思っていたら、
やはり見事の位にお客が入っていない。
通勤で行き帰りのちょうど食事時間に前を通るのだ。

 この隣はドトールコーヒーが出ており、反対側にはマクドナルドのハンバーガー店と、その隣はコンビニエンスがある。
この三軒は勝ち組である。
うどん店の以前のテナントはケンタッキーフライドチキンであった。

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05月01日(土)
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