ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[399953hit]
■693, 「ホームレス作家」
ファミリーレストランで、お替わり自由のコーヒーだけ取って、朝まで粘った
りする。カプセルホテルは一泊四千二百円もするので、よほど懐に余裕がない
限り泊まれない。
食事は安売りのハンバーガー屋、牛めし屋、一○○円ショップ(カップラー
メンやクッキー)などを利用する。大型スーパーではから揚げや刺し身、アイ
スクリームなど様々な食材が試食に供されることがあるので、見逃せない。ビ
ールやワインの試飲もある。
こうしてみると、ホームレスでもなんとか生きていけそうだが、気をつけな
ければいけないのは臭いである。体が異臭を放つようになったら、元の生活に
戻ることはできないだろう。そこで、作家は次のように考えた。
もし、私が路上の生活から抜け出すことを望んでいるのなら、ルールが
要る。自分を縛るルールが。この時私が決めたルールはたった二つだった。
一つは路上では横にならないこと、もう一つは残飯を漁らないこと、であ
る。
その二つを守れる限り、私は<住む場所のない小説家>でいられると思
った。そうでなければただの浮浪者だ。私は浮浪者にはなれない。浮浪者
の生活を見下しているのではない。私は彼らのように生きる覚悟もなく、
それだけの生命力もないのだ。
作家はまた、路上生活をしながら収入を得る方法を思いついた。
気分が少し楽になると、また、生きる意欲が湧いてきた。ポケットには
まだ三百円と少しの金がある。これを有効に使うべきだ。これだけの金額
でどこかに泊まるのは無理だから、食費にするしかない。ブロードウエイ
を出て早稲田通りに入った辺りに、一○○円ショップがある。あそこで何
か、腹に溜まるものを買おう。そう考えながら歩いていると、ある大型の
古書店が眼についた。所謂、新古書店と呼ばれる大型のチェーン店である。
「ツイてるぞ」
私は思った。確認すると、ポケットには小銭が三二六円残っていた。消
費税を含めても、一○○円の本が三冊買える。私は店へ入り、迷わず一○
○円コーナーへいった。このチェーン店には単行本、新書、文庫、まんが
のそれぞれに一○○円コーナーがあるが、私がいったのは単行本の一○○
円コーナーである。残りの金を有効に遣うため、私はセドリをやろうと考
えたのだ。
セドリとは、古本屋で買った本をそれより高い値段で売って、利ざやを稼ぐ
ことである。作家は職業柄、古本のめききがきく。おまけに本書の作者は、古
本屋をやっていた頃、セドリの経験があった。
新古書店の一○○円コーナーには、普通の古書店なら少なくとも倍の値段で
買ってくれそうな本がいくらでもあった。その中から厳選して三冊を三○○円
で買い、それを他の古本屋に持ち込んで交渉すると七八○円になった。四八○
円の利益である。そんなことを繰り返しているうちに、所持金が三千円にふく
れあがったのである。
そのうちに、彼は作家としての矜持を思い出した。
書こう。総てを残そう。
私の脳の奥深いところから、書け、書け、と命じる声が聞こえていた。妻
とのことも、そして、路上での生活の逐一も、嘘偽りなく記して残せ。臆す
ることなく・恥じることなく、繕うことなく、飾ることなく、総てを書け
――と。もしも私が作家であり続けることを望むのであれば、それ以外に何
ができるというのか――と、その声は命じていたのである。
かくして、小説『ホームレス作家』は誕生した。売れ行きは順調で、今のと
ころは本屋のベストセラーの棚に並んでいる。作家ならばこその一発逆転満塁
ホームランである。
めでたしめでたしといいたいが、不安材料もある。高次脳機能障害の妻は、
精神のバランスを崩し、子育てや家事がまともに出来ないという。同居すると、
作家は専業主夫もしなければならないが、そうなると、原稿執筆に専念するわ
けにいかなくなる。そもそも、『ホームレス作家』になったきっかけは家事に
[5]続きを読む
02月26日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る