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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■わたしの音楽の方向性……
時々言われるけれど、「狭い静岡の市場で、何軒ものお店をかけ持ちするのは無理だろう」という意見がある。
わたしももっともだと思ったし、1軒に出ることでもう1軒のお店に自分のお客さんを連れて来れないようになってしまったら、それは確かにせっかく出演させてもらうお店に対してとても失礼なことになる、と思う。

でも、どうなんだろう……?
1軒のお店に、自分のお客さんを「全員呼ぶ」というのは。
いろんなお客さん(わたしにとってはそれは「友達」ともいう)がいて、その人によって「好きな音楽」「好きな雰囲気」「好きなお店」は異なってくる。
自分が出られるのはこのお店だけだから、と言っていたら、「それじゃどうしても行けないよ」という人も出てきてしまう。
結果的に、わたしのライブに「ずっと来れない人」ということになってしまう。

わたしは、今出ているところでは来れない人のために、他のところでライブをやるのは、構わないのではないか、と思う。
別に、今出ているところを嫌って、というわけではなくても、曜日や時間帯が合わないとか、場所が遠いとか、いろんな事情がある。
わたしが「このお店でしかやらない」と言いきってしまったら、「そこには来れない人のことはもう知らない」ということになってしまうのではないか。

もちろん、自分の音楽を聴いてくれる人を全員かき集めてもかろうじてお店に失礼にならない程度のお客さんしか来てもらえないのだったら、「あっちでもこっちでもやります」というのは、本当に失礼な話でしかないだろう。

でも、たとえば「島唄の日」に来てくれた人は、ふだんのわたしのステージにはそれほど興味を持たなかったけれど、「島唄」に焦点を当ててやるステージだったら来てみたい、と思ってくれた人もいたわけだし。

その前の月のお客さんとは、さほど重なっていなかったので、2か月分合わせると、両方とも来てくれた人をダブらないように数えても60人くらいは来てくださっていることになる。

もちろん、その大半は、実はゲストで出てくれた人たちのおかげだったりするので、そこのところを勘違いしたらとんでもないことになってしまうわけだけれど。


わたしは、頭がよさそうに見えて実は「常識を知らない」人なので、こうやってここに書くこと自体が、もしかしたら誰かに対してとても失礼なことになってしまっているのかもしれない。

また、「わたしは30人ぐらいのステージが良くて、1000人も2000人も集めた会場で演奏するのはムリ」とか言ってるのも、実はやっぱり「甘え」でしかないのかな、と思うようになってきた。
しっかり売れてて「社会的責任」も果たしているような、それこそ誰が見ても「プロ」と認めるようなミュージシャンの中にも、きっと「本当はこんなに大きな会場で一人一人の顔も見えずに演奏するのはイヤだ」と思っている人がいるのだろう、と思う。
もちろん、そんなこと言ったらたいていの人は「あっそう、じゃあそういうところでやれば?」(もう知らないよ〜)と言って離れていってしまうのだろう。
「小さなステージ『も』大切にする」という人はよくいるけれど「小さなステージ『の方が』いい」という人の話は、あんまり聞かない、というのも当然のことだろう。
それを自分のスタイルやスタンスにして活動しているミュージシャンもたくさんいるだろうけれど、残念ながらその人たちのうちのどれほどが、それだけで自分の生活を維持しているか、あくまで推測だけど楽観的な割合でないことだけは確かだろう。

また、聴く側にしてみれば、たとえステージの上の人に自分自身の存在を直接確認してもらえなくても、同じ場所にいてその人の「生の演奏」が聴けるだけで十分幸せ、という人だっているわけで。いや、リスナーとしてはそれが「普通」?…わたしには「普通」はわからないのだけど。
(わたし「普通のリスナー」やったことないから。
とにかくウルサいったら、ありゃーしない。

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06月27日(土)
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