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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「報復」について
メモ。

戦争のこと。

死刑のこと。

どっちもキーワードになってるのは「報復」。

自分の大切な人を殺された。
殺したやつも、殺されるべきだ。
目には目を、歯には歯を。

そういう「常識」を、そろそろわたしたち(=21世紀を迎えた人類)は、変えた方がいいのではないか。

確かに、殺したやつは絶対に許せない。
殺したそいつを殺してやる。
そういう気持ちになるのは無理もない、当然のことだと思う。
そんな時に、「そいつを殺したらそいつのことを大切に思っていた人たちが今度はおまえを殺しに来るぞ」といっても、無駄だろう。

でも、思う。

報復せずにはいられないほどの強い怒り、憎しみも、長い時がたてばいずれは鎮まってくるもの。

決して殺したやつを許せるわけではない。
殺された自分の大切な人のことが忘れられるわけでもない。
何一つ解決はしないのかもしれない。

ただ、強い怒りや憎しみ、暴力衝動を伴うほどの感情は、時間の経過とともに悲しみ、むなしさ、苦しみへと変わっていき、最後には「あきらめ」に至ると思う。

「あきらめ」なんて!と思う人もいるだろう。
「それじゃあ大切なあの人の無念が晴らせないじゃないか!」と。

でも。

たとえどれほどの「報復」をしたところで、大切な人は帰ってはこない。

NHKで昨日「戦争を考える」という(子供向けの?)番組をやっていたけど、その中に「911で息子を殺されたからイラクに息子の名前を書いた爆弾を落としてくれ」と要請し、それが実現できたという人のインタビューが写った。
その人は「そうしてもらってよかった」と言ったが、表情はとても苦しそうだった。

「報復」しても、実は誰も幸せにはなれないのだ。
ましてや、自分の息子を殺した張本人ではないところに爆弾落としたなんて、夢見が悪いことして平気でいられるわけがない。

わたしは、他人を殺した人間はあえて生かしておくべきだと思う。
「報復」が必要ならば、そいつに自分がしたことはどれほど悪いことだったのか、洗脳してでも自覚させ、許されない罪の自覚に死ぬまで苦しめばいい、と思う。
自分が殺した相手が、殺すことによって自分にとってどれほど「大切な人」になってしまったか、自覚させればいい。
大切な人を殺してしまった自分を、とことんまで憎むように仕向ければいい。
「こんなひどい自分なんかいっそ殺してくれ!」と思わせればいい。

そうして、安易に「死刑」(先進国中では日本だけが実施している)なんかしたりせず、最低限「生きる」ことだけを続けさせればいい。

だいじょうぶ、そこまですれば、死刑になんかしなくても、殺人者はこの世が地獄のようなものになるから。

そうして、殺人者が自分のしたことにどれほど後悔し、死ぬ方がまだましだと泣き叫びながら、あるいは何も考えられない廃人のようになってもまだ生かされている姿を、多くの人に見せしめればいい。

ほら、これで「死刑」のもう一つの目的「見せしめ」も実行できるじゃない。

死刑だろうと戦争だろうと、「報復」や「見せしめ」で同じようなことがなくなることはない。

殺せば殺しただけ、それは連鎖する。

テロに対して報復戦争をいくら仕掛けても、一向にテロがなくならないのを見れば、どれほど連鎖しているのか簡単にわかるじゃないか。
過剰反応としての報復戦争で、相手国の善良な市民をたくさん犠牲にして、その国の人たちから恨まれ、憎まれ、今度は自分がやられるかもしれない……(ビクビク)
だったらこっちが先にやってやる!
先制攻撃だ!
……憎しみは深まり、国家の威信はどんどん失墜していく。

理由がなんだろうと、他国民を武力行使で殺傷することが「良いこと」であるはずがない。
何が「Good War」だ。
戦争に「良い戦争」「正しい戦争」なんてあるわけないじゃないか。
やってて恥ずかしくないのか。>世界でいちばん戦争の好きな、ある国の人々へ

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たぶん「人類は昔から戦争してきた。戦争は人間の本質の一部だ」と言う人がいるだろう。

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08月15日(火)
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