ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
[140435hit]

■不調です
☆サッカー、日本負けちゃったね。

わたしが見てて勝ったこと、ないよ。


☆死刑の求刑に対し、判決は無期懲役。
遺族「死刑以外は無罪と同じ」

この言葉に、死刑制度は殺人の連鎖を助長するだけだと改めて感じた。
死刑がなければ、遺族だってこんな発想はしづらいだろうに。
なんてむごい制度なんだろう。
遺族に「殺意」を促すことになる。

どんなに凶悪な殺人犯であっても、そいつを殺してうかばれる者は一人もいない。

「だって出てくるかもしれないでしょう?」
と誰かが言っていたが、だったら「出て来れない刑」=「終身刑」を創設すれば良い。

「国家が犯罪者を食わせていくなんて!」
と誰かが言うかもしれない。
しかし、真の防犯のために役立つなら、当然の投資だろう。

生かしておいて、犯罪心理の研究材料にすれば良い。
犯罪者の心理を、プライバシーさえ許さずにとことんまで調べ尽くし、その者が精神的に破綻してでも、
「どうすれば犯罪が実行されずに済んだか」
を研究する実験台にでもすれば良い。

死刑を言い渡されるほどの犯罪者は人権をほぼ全面的に剥奪されているんだから、そのくらいの目に合わせてもかまうまい。
「死ぬ権利」をさえ剥奪するのだ。

「ひと思いに死なせてくれ」
と懇願されても、生かしておく。
死ぬより辛い苦しみを、神がその命を取り上げるまでずっと、味あわせ続ける。

それが本当の「極刑」だ。

死んで楽になるなんて、そんなずるいことを許してはならないし、死刑は「犯罪の抑止」として役立つよりもむしろ「殺人の連鎖」を助長する面の方が強い。
同じ言葉をただ繰り返すのは脳がないが、強調しておきたい。


わたしは生き続ける。


☆でもふと気が付くと、「わたしのせいで人が死んだ」と思ってしまっている。

いや、わかっている。
そんなことない。
っていうか、傲るな。
わたしは一人の人を言葉やましてやただわたしが存在するというだけで死なせてしまうほどのパワーはない。

それは、わたしがたまたまテレビで観戦していたから日本が負けた、なんて言えないのと同じ。

逆に、仮に、わたしの存在や言動が他の誰かの生き死にに関わっていたとしても、それはいたしかたのない現実。

それは、わたしが生きて今日の夕食をとったせいでアフリカで何人かの子供が命を落としているかもしれない、というのとそんなに変わらないこと。

それで気落ちして、せっかく食べたエネルギーを引きこもってうだうだすることにばかり費やしてしまったら、その方が罪深いかもしれない。

いや、引きこもってもいい。

生きて存在することの残酷さに、耐えなければならないのは、命あるもの全てに課せられた宿命。


でも、でもね……


つい「自分のせいで」と思わずにはいられないんだよ……

意識が思っていないつもりでも、体が思ってしまう。
眠れない、起きれない。
風呂にも入れず、歯も磨けない。

楽器を弾いて歌うことができれば、まだわたしは生きてていいような気もするんだけど、
悪くなるとそれすらできなくなる。


せっかく誰かが日記でコメントしてくれても、返事ができなくなる。

(先週亡くなった友人は、掲示板上でわたしが最後にレスしたのだった。
……他の掲示板とかにも何か書いてたかもしれないし、わたしが本当に最後のコメントじゃなかったかもしれないのに)

……


あれ?
考えが同じところをいつまでも回っている。

いや〜、アタマじゃわかってるんだけど。
「余計なこと考えても何もいいことない」って。
「間違った思いこみにいつまでも囚われてなくていいんだ」って。

でも、キモチがね……





Anyone to help me?
06月12日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る