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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■戦争における「北風と太陽」
戦争って、それで本当に人が死ぬことなのです。
愛する人が殺されたら、わたしは殺した相手をとことんまで憎まずにはいられないでしょう。
最も残虐な方法で復讐したい。
相手の存在を、徹底的に貶めたい。
わたしはきっと、そんなふうに思ってしまうでしょう。
わたしはそれに抗う自信がありません。
だからこそ、わたしはまず戦争を憎むのです。
罪を憎んで人を憎まず。
具体的な「あいつ」を殺してやりたい、などと思ってしまうのは絶対に嫌です。
わたしの心にそういう醜い憎悪を作り出さずにはいないであろう戦争に、
わたしは決して巻き込まれたくはないです。
日本人がまた犠牲になったことで、
きっとその遺族の方たちはどうしていいかわからないほどの悲しみと、
おそらくは憎しみに包まれているのではないでしょうか。
その感情は当然なのです。
でも、人を憎まなければならない自分と向き合わされることほど辛いことはないのではないでしょうか。
イラクでいつ果てるとも知れないテロ行為が横行しているのは、アメリカによって国土をめちゃくちゃにされ、
愛する人を数多く殺された人々の憎しみの現れではないでしょうか。
テロは決して許すべきことではありません。
でも、現にテロ行為に走らなくてはいられない人々にそれを止めさせるのに、
果たして武力で対抗することが有効なのでしょうか。
わたしには、アメリカの攻撃はむしろテロを煽って、もっとやれと叫んでいるようにしか見えません。
でも、どうすればテロは止むのでしょうか。
わたしは人を信じたいです。
テロリストの人としての心を信じたいのです。
その心が憎しみを解いた時、初めて血で血を洗う暴力の連鎖が食い止められるのではないでしょうか。
でも、そのためにいったい、どうすれば良いのでしょうか。
わたしには、答えがわかりません。
わたしはアメリカを許しません。
しなくても良かった戦争を引き起こし、何万人ものイラク人と何千人ものアメリカ人を
無駄な死に追いやっているのだから。
ブッシュが何度も「われわれはテロに屈しない」と叫ぶけれど、
テロに武力で対抗していることで、既にテロリズムに巻き込まれているのは、
実は「屈している」ことになるのではないか。
殺人に対して「北風と太陽」が通用するのかどうか、わたしにはわかりません。
アメリカが先に武装解除してしまったら、
イラクのテロリストたちはたぶん我が物顔で無法地帯を作っていくでしょう。
世界はそれを黙って見ていることしかできないのでしょうか。
ああ、どうにかできないものでしょうか。
暴力の連鎖を、なんとかして食い止められないものでしょうか……
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↑のように書いたけれど、イラクに実際に行ったことのある人の書いていることを見たら、わたしはあんがい偏見でものを考えてしまっているのかもしれない、と気づかされました。
原案帳#23にも
誤解というタイトルで書きました。
11月01日(月)
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