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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■性別変更
断言する気はないけれど

わたしは性別変更しようとしないほうがいいのかもしれない。
もっとするべき人たちがいて、その人たちのために道をあけるべきなのではないか。

親として子を育てることを全うしている人たち。

わたしは、自分の子のために一体何をやっているのか。
「彼が担う未来の社会をより良くしたい」なんて言ってるけど、本当にそれを真剣に考えているのか。
自分に都合の良い解釈を未来の人がしてくれるように、と屁理屈を言ってるだけなのではないのか。
彼が健やかに育っていくことを少しでも助けるために、他にすべきことがあるのではないのか。

いや、それは当然なのだけど。
それでもわたしは敢えて、「自分のすべきこと」をしている。
お金にはならない。
人の役にも、それほど立たない。
それじゃあ、「すべきこと」じゃなくて「したいこと」でしかないのではないか。
それも、単なる思慮の浅いわがままのような感情で。

わたしは自分の意志として「自分のすべきこと(したいこと)」をしている。
それは、上のように一見して理に叶わず筋が通っていなくても、誇りを持って貫くべきことなのだろう。

けれど、わたしの生き方を「性別変更」に結びつけるのは、世の多くの人たちから理解され、許されはしないのではないか。
そういうことで、本当なら性別変更できるはずの人たちの足を引っ張ってしまうことになるのではないか。

「子無し要件」は、断じて撤廃すべき。
けれども、それが認められるものとなるには、少なくともこの国の多くの人を納得させるだけの筋道が必要。
かなり多くの人がまだ
「体の性で子を設けたのに性別を変更するのはおかしい」
と考えてしまう現状を、充分に覆せるような、説得力のある言葉が必要。

わたしは無理かもしれない。
(現状だけ見れば「もう子供を育ててはいないし独身」という点から見て「性別変更可能」とする考え方もある。
けれど、道義的、あるいは感情的になのかもしれないけれど、「それじゃあまりにも身勝手」と思う人が多いであろうことは充分に理解できる。
「同性婚を置き去りにするのか」という批判もあるだろう。
そういう声を無視してまで、わたしは自分の性別を「元に戻す」ことにこだわれない)

無理じゃない、性別変更できる「子持ち」の人は、必ずいる。
そういう人の姿を映し出す言葉が、ほしい。

ああ、こんな時間に考えごとをするものじゃない。
すぐに起きなくちゃならないけれど、いったん眠ろう。
09月09日(木)
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